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【ボクタク】開沼博著『「フクシマ」論』をめぐる対談【烏賀陽弘道×開沼博】
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【ボクタク】開沼博著『「フクシマ」論』をめぐる対談【烏賀陽弘道×開沼博】

2013-02-10 00:00


    『ボクタク』烏賀陽弘道著『「フクシマ」論』をめぐる対談


    INDEX

    ■イントロダクション

    ■やりたかったのは「田舎論」

    ■格差が消えた後に残るもの

    ■格差を埋める手段としての原発

    ■迷惑料経済とリスク社会論

    ■果てしなき「低開発地帯」への希求

    ■物から心へ 〜代償の変質〜

    ■【一夜明けて・対談後記】

    ■次回予告

    ********************

    ■イントロダクション

    開沼博『「フクシマ」論』をめぐる対談

    東日本大震災と軌を一にして世に問われた『「フクシマ」論』で一気に注目を集めた社会学者・開沼博。彼はなぜ故郷・福島を研究対象に選んだのか。あえて「フクシマ」論と題した真意は何か。
    報道というフィールドから同じものを見つめてきたジャーナリスト・烏賀陽弘道が、若き社会学者の視線を探った対談録。

    ◎この対談について
    ・この対談は、2013年1月25日にニコニコチャンネルの生放送で配信された対談です。当日の内容は、Youtubeにもアップされています。
    こちら(http://youtu.be/L8KJnX_3sNU)からご視聴いただけますので是非ご覧下さい。

    ◎対談テキストについて
    ・対談内の人物表記は、(U)烏賀陽氏、(K)開沼氏 と表記しています。
    ・対談内容のテキスト化において、口語部分等内容の一部修正をしています。

    ◎対談音声の聞き方について
    ・『ボクタク』チャンネル購読後に配信されるメール本文の、「電子書籍で読む(本記事のみ)」のURLをクリックしてEPUBファイルをダウンロードし、EPUBリーダーにてご視聴ください。

    ・各章の最初に音声を聞くためのリンクが設置してあります。
    ・ご視聴いただく周りの環境にご配慮の上、お楽しみください。ご覧いただくリーダーによっては、音声の再生が行えない場合があります。

    ◎推奨環境について
    ・『ボクタク』のePubファイルは推奨環境として、下記のリーダーでの動作確認を行っております。 (※各URLよりダウンロードできます。) 

      *Readium【Windows】 http://goo.gl/6eN8k
      *Murasaki【Mac】 http://goo.gl/i0tLh
      *iBooks【iPhone・iPad】 https://ssl.apple.com/jp/apps/ibooks/
       (※またはitunesの検索機能から「iBooks」で検索ください。)

    ◎bokutaku.comについて
    ・『ボクタク』ではニコニコチャンネル以外に、ご利用の方々、運営チーム、出演者等が交流を持てる場所として、bokutaku.comという公式サイトを設けています。
    サイト内の交流用掲示板で、みなさんのご要望・質問・意見などを自由に交わすなど、是非ご活用ください。

    ・ボクタク公式サイト
    http://bokutaku.com

    ・ボクタク交流用掲示板
    http://bokutaku.com/bbs/

    ********************


    ■やりたかったのは「田舎論」

    U「ここから、開沼さんのお書きになった『「フクシマ」論』というこの本に話題を移します。ですからここからは、私が、いち読者として、著者である開沼さんに話を聞くと、そういう設定にしたいと思います。それでですね、今、この番組を見ていらっしゃる方の中にも、この『「フクシマ」論』という本を読んでない人もいらっしゃると思うので、簡単に言っておくと、まずこの本は3.11をきっかけに書かれた本ではなくて、3.11の前から準備をされていたということです。そして内容的には『なぜ、福島に原発があるのだ』ということを、いろんな方面から分析しておられる本なんですね。で、これがたまたま、何というのか福島で原発事故が起きるということと、軌を一にして出版されたわけです。それがその、まぁ我々読む者にとっては幸運ことに『なぜ、福島に原発があるのだ?』ということがですね、ここに詳しく隅々まで書かれていると、そういう結論になったんですね。でね、僕この本を読んで、ある種、まぁ快哉を叫んだと言うか、胸がスッとしたのは、実は開沼さんも福島の、えっと…いわきのご出身なんですね。つまり福島県の人が、『なぜ、原発を福島は持つことになったか?』って問うのは、自分のアイデンティティの問題と絡めながら書いてらっしゃるわけです。今日こうして会って、聞きたかったことは、社会学者としてのデビュー作みたいな部分で、なぜ自分の故郷のこと、福島のことでね、掘り下げようかと思ったかってことなんですよ。別に天皇制について議論したって良いわけだし、例えば日本のその…何でもいいんです、『部落問題はまだ残っているのか?』とか、そういう問題でやっても良かったのに、なぜ敢えて自分の故郷のことに目を向けたのか。そういうことから聞いていいですか?」

    K「そうですね…うん、なんちゅうかな、一言で言うと『田舎論』をやりたかったんですね。『天皇論』とか、『差別論』とかいろいろありますが、実は原発を通して差別のことを考えることもできるわけです。あるいは東海村原発が動き出した時に天皇が見に行ってですね、その後は国体などで天覧試合が催されたりする。そういうことから『天皇と原発』みたいな研究もできるかもしれないなと。ちなみに社会学でできて他の…例えば政治学、経済学とかで取り上げ難いのは『文化の問題』『意識の問題』とかですね。政治とか経済だけには還元できないものであると。そう考えた時に、もちろん天皇でもいいし、地方財政論とかになっちゃうと経済学のジャンルになってくるけども、それだけじゃないんだと。田舎にまつわる『負い目』みたいなものが、実は日本社会の戦後成長を作ってきたんじゃないか、ということを解きたかったんですね」

    U「『田舎』って言葉を今使われたけれども、田舎っていうのは、例えばそれはその都会に対する反対語としての田舎であり、要するに、都市部対非都市部みたいなもんだよね。それはえーと、どうなんでしょう、東京対非東京なんですか? それとも中央政府対地方と言う意味での田舎なんですか?」

    K「東京対地方か、地方対中央政府かってのは、文化的な話か、政治的な話かってことですか?」

    U「政治的な話」

    K「えーと、両方あるんだけども、多分重要なのは文化的な『都会と田舎の格差』みたいな話ですね。この本の中には書いてなくて、この次の本の『福島の正義』って本の中で書いてるんですけども、例えば別なところ、沖縄の事例を出しましょうと。沖縄の辺野古基地の問題、移設云々…普天間の話ですね。それについて、基地移設派、推進派の人と反対派の人のマニフェスト読み比べってのをやったんです、『移設しないべきである』っていう人は、『移設しないべきである』ってことがマニフェストに滅茶苦茶書いてあるわけですよね。一方、推進派の人は何を書いてるかと言うと『スターバックスを誘致したい』って書いてあるんです。これって、都会に立ち位置を取れば笑える話だけれども、田舎に立ち位置を取ると『そうでもしないとここに他に何があるの?』という話でもある」

    U「あ〜、スターバックスは永遠に来ないと…」

    K「若い人が集まって、おじいちゃんおばあちゃんたちを介護するだとか、ここで仕事しながら、定期的に(おじいちゃんおばあちゃんたちと)話に行くだとかという『家族で楽しい未来』というのを描いたら、まぁ異論は出ないよねと。で、子供を作ったら一緒に連れてって遊べるような場所が欲しいな、となる。そこで六ヶ所村に目を移してみます。僕、2006年に六ヶ所村に行ってるんですけども、まぁ立派な温泉施設とかPR館とかできててね…。他の原発立地地域にもあるんですけども、『他に何が欲しいですか?』って言ったら『マクドナルドが欲しいよね』って言うんだそうです。どこも同じパターンですよ。都会目線だと『それは何が楽しいの?ファストフードでしょ?』ということになるんだけど、田舎にとっては、マクドナルドに子供を連れてってマックセット(ハッピーセット)買って『あのテレビでやってるオモチャ、欲しいよね』っていう憧れが…」

    U「ライフスタイルの問題なんですね」

    K「そうなんです」

    ■格差が消えた後に残るもの

    U「僕が福島に取材に行って思うのは、道端のロードサイドストアに関する限り『ここは東京と何も変わらへんな』という感じなんですよ。トイザらスからユニクロからね、ココ壱番屋からファミレスまで何でもある。コンビニは当然ね。買い物するには東京と全然変わらないんですよ、その昔は田舎の若者ってのはちょっと小ダサい格好してたのに、今や全然リアルタイムで着てるものも変わらないと。つまり物質的には、もうほとんど東京と地方の格差はなくなったんじゃないの? 開沼さんは昭和59年生まれの28歳だということだけど、その開沼さんが青春を過ごしてた頃はどうだったんだろう?」

    K「仰る通りで、(物質的な格差は)ないようになったと僕は認識していて…」

    U「あんまり田舎者コンプレックスとかないんじゃないですか? 開沼さんは」

    K「ないですね。その、成りあがり的な、田舎から出てきて一旗揚げて、みたいな物語は」

    U「広島から出てきた矢沢永吉が武道館で頂点を極めるみたいな、広島東京格差みたいな感覚ってないわけでしょ?」

    K「それは流石に必死すぎるなって…まぁ、相対化できちゃうぐらいにはなっていましたね」

    U「そういう世代なんですね」

    K「高校の時にドトールができて『やべーよ』と(笑)。あそこ行ったら、『豆乳ラテ』とかいう得体の知れないもんが飲めるよ、みたいなのがあったわけですよね。じゃあもっと子供の時どうだったかって言うと、まだユニクロも来てなかったし、大きなスーパーとか、バブルが終わったちょっと後くらいに、多分田舎にどんどんできて来たって言う…そんな感じでしたね」

    U「そうか…そうだよね」

    K「だから、両方わかるかもしれない。でも今の田舎で育っている子供にはあまりわからないかもしれないですね。そういうことは」

    U「つまりアレだね、物質的に飽和する前の田舎を知ってる最後の世代なんだね」

    K「若干知ってるかもしれないですね」

    ■格差を埋める手段としての原発

    U「で、いきなりもう本題にシフトしてしまうんだけど、僕が福島の原発の取材をして、『ああ、こういうことだったんだ』って納得したことがあるんです。原発事故の後の取材だったんですけど、地元の人が『原発ができてくれて良かった』、『原発さまさま』なんだと言うので、僕は最初『え〜っ!』と思ったわけですよ。こんな大惨事になってるんだから、さぞかしみんな原発憎むべしと、『誰だ!あんなもの作ってコンチクショウ!』って怒ってると思ったら、そんなことはなくて、『原発ありがたい』と『あのおかげで地域が豊かになったんだ』と言うんです。『東電さんにはお世話になっているので、悪いこと言えないんです』っていうふうに、福島の人はみんな言ってたのね。で、僕は最初それに唖然としたんですけど、話を聞いてみると、やっぱり福島第一原発ができる1971年…くらいかな、それ以前はみんな仕事がなかったので、出稼ぎに行ってたんですね。冬の間はお父ちゃんがどっかの工場に行ったり、山奥のダムの建設現場に行ったりして、あげく一家がバラバラになった。出稼ぎに行った父ちゃんが、都会に行ったらもう帰ってこなくなったってこともあるんだと。それが、原発ができてからはそういうことをしなくて良くなった。『家族が一緒に住めるようになった。ありがたい、ありがたい』と言うんです。その話を聞いて、僕は納得したんですよ、そりゃ家族は一緒に暮らせた方がいいよなと。で、それを原発が実現したんだったらね、そりゃみんな『東電さまさま』だよなと思ったんですよね。だから開沼さんの本を読んだ時にも、納得したのは、その地方の経済的な部分な実状についてなんです。はっきり言うと、これは日本の中の開発途上地域だよね。第三世界と言うか、そういうところだったのかな〜と思ったの。その格差を埋める雇用っていうのは原発しかなかったのかなって思うんですよ。実際のところ、他に産業ってそんなになかったんでしょうか?」
     
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