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めるまがbonet[ 第14号 ]
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めるまがbonet[ 第14号 ]

2013-04-17 23:55
    ◆╋◆╋◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━╋◆
    ╋◆╋◆
    ◆╋◆      めるまがbonet -2nd season-
    ╋◆ 
    ◆           第14号              13.04.17
    ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━‥‥・╋◆

    ………………………………………………………………………………
    新入生のみなさん、「大学デビュー」はしましたかー? 
    ぼんちゃんの飼い主・村上くんにも、おしゃれ心が芽ぶきはじめた
    ようですよ。髪を短くして、新しい服やカバンも買ったみたいです。
    えーと……こういうのは、「社長デビュー」っていうんですか?
    ………………………………………………………………………………

    ┌─────────────────────────────
    ├○ 今【1】ノッツインタビュー        [第1回]
    │  回             
    ├○ の【2】梵天レビューシリーズ       [第3回]
    │  目
    ├○ 次【3】編集後記(ぼんちゃんのお部屋)
    └─────────────────────────────

    ◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆
     【1】ノッツインタビュー         
        ギターを持ったマンガ家の唄       [第1回]
    ◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆

    片や初の単行本『クルミくん NO FUTURE』(小学館)を
    2月に上梓し、『ソラミちゃんの唄』(芳文社)の発売も間近に控
    えた新進気鋭のマンガ家。片や『ヘルメンマロンティック』(HA
    TCH)でギターを手に甘い歌声を響かせるシンガーソングライタ
    ー。はたまたミドリカワ書房「大丈夫」のPVを手がける映像作家
    でもあり、supercellのトリビュートアルバムに参加する
    ボカロPでもある――。『めるまがbonet』では、そんなさま
    ざまなジャンルを股にかけて活躍するマルチクリエイター・ノッツ
    へのインタビューを敢行した。これから3回にわたり、その多才さ
    を育んだ半生から、作品に隠された秘密まで、未だ知られざるノッ
    ツの創作の核へと迫る。


    ■マンガ家ノッツができるまで

    ――初単行本『クルミくん NO FUTURE』の発売おめでと
    うございます。かわいらしい絵柄と、スマートな下ネタギャグの調
    和がとても面白かったです。

    ありがとうございます(笑)。

    ――もともとはTwitterでのつぶやきから出発した作品なん
    ですよね。

    はい、「射精したら未来予知ができる超能力者がいたら……」みた
    いな下ネタツイートがきっかけでした(笑)。そこから「能力に目
    をつけた悪い女幹部が主人公を射精させようと襲いかかり……」み
    たいに設定を膨らませていったんですけど、当然誰も作品にまとめ
    てくれそうもなく……。なのでしょうがなく自分でマンガに(笑)。
    はじめは軽いノリでTwitterやpixivにアップしていた
    だけだったんですが、思いのほか分量もたまってきたので、201
    2年5月のCOMITIA100(注1)で1冊の同人誌にまとめ
    て頒布したんです。COMITIAは以前も参加したことがあった
    ので遊びのつもりで。そしたら会場で『月刊IKKI』(注2)の
    編集さんから声をかけていただいて……そのご縁をきっかけに、後
    日単行本化の話をいただきました。

    ――もとからマンガを描く訓練はされていたんですか?

    小学校の頃、クラスに1人はマンガを描く友だちっていたじゃない
    ですか? 僕がまさにそういう奴だったんですよ。クラスメートが
    登場して冒険するようなマンガをノートに描いていて、たまに回し
    読みされてました。だから訓練はしたことないんですが、量だけは
    たくさん描いてましたね。
    小学校の頃からとにかく物語や表現を外に出したいという気持ちが
    あったんですよ。その種の飢餓感を常に抱えていて、その点マンガ
    は描けばすぐに友だちが面白がって読んでくれたので、喜んで描い
    てました。他人の反応がうれしかったんですよね。

    ――当時読んでいたマンガというのは?

    小学生の頃はスーパーファミコンの全盛期で、中でも『ドラゴンク
    エスト』や『ファイナルファンタジー』などのRPGが好きだった
    こともあって、一番読んでいたマンガ誌は『月刊少年ガンガン』で
    した。『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』(注3)や『ロトの
    紋章』が載っていたので。
    両親もマンガ好きで、家にもたくさん置いてあったんですよ。『S
    LAM DUNK』や『幽☆遊☆白書』みたいな『ジャンプ』マン
    ガとか、『ドカベン』(注4)とか『つる姫じゃ~っ!』(注5)
    とか。そういうメジャーな作品がそろっていて、それを読んでいま
    した。
    あとは妹が少女マンガも買っていたので、そこでいくえみ綾先生
    (注6)なんかに触れて、少女マンガの叙情性に驚かされたりもし
    ましたね……でも自分で購読していたのは『ガンガン』でしたが
    (笑)。
    RPG的な世界観が大好きで。音楽でもそうで、小学校の頃にピア
    ノを習っていて、それはすぐ辞めてしまったんですが、『FF』の
    音楽を弾きたくて自分でバイエル併用の楽譜を買って練習もしてい
    ました。

    ■ギタリスト・ノッツの誕生

    ――そこからギターを弾くようになったのはいつ頃から?

    中学校に入ってからですね。当時はよく友だちの家に集まって、そ
    の頃流行っていた『ストリートファイターII』(注7)などのゲ
    ームをやってたんですが、待ち時間に置いてあった友だちのギター
    を触ってみたら面白くて。それで高校に入学するときに安いエレキ
    ギターを買ってもらったんです。ちゃんと練習をはじめたのはそれ
    以降ですね。

    ――宅録にはまりだしたのもその頃から?

    はじめはバンドをやろうともしてました。高1のときには「よし、
    文化祭でも出るか!」とコピーバンドを組んだりして。でも高2の
    頃にはオリジナルが作りたくなってきて、多重録音ができるMTR
    (注8)を買っちゃったんですよ。それまでの貯金のすべてをつぎ
    込んで。そしたらバンドよりも宅録にハマってしまって(笑)。
    宅録のほうが、すぐに人に聴かせられるところがよかったのかもし
    れません。作った音源はテープに録音して学校の友だちに聴かせて
    いました。みんなすごくいい反応をしてくれて……それがうれしく
    て、それからは「自分の音楽を聴いてもらえる!」というモチベー
    ションだけで学校に行っていましたね、週1のペースで曲を作って
    (笑)。その頃はまだインターネットが世の中に浸透していなかっ
    たので、今みたいにニコニコ動画で知らない人から自分の音楽を評
    価してもらえるなんてこともなかったんですよ。

    ――その当時の制作スタイルというのは?

    まだPCへの直接録音はできなかったんですけど、「ミュージくん」
    や「ミュージ郎」(注9)といったソフトでギターとボーカルのな
    いカラオケを作ってからMTRに入れて、そこにギターを重ねて録
    音して、最後に自分でボーカルやコーラスを歌って完成、という流
    れですね。
    当時の音源なんて、今ではもう聴けたもんじゃないんですけど(笑)、
    あの時代に素人がきちんと多重録音で制作していたというのは、珍
    しかったのかもしれませんね。周りにいたとしてもせいぜい、2万
    円くらいのFOSTEX(注10)とかの4チャンネルカセットM
    TRを使って、アコギにリズムが入っているくらいのすごくローファ
    イな音源だったと思います。僕は機材に全財産をつぎ込んでました
    から(笑)。だから服なんかも全身オカンセレクションで、音楽以
    上にアヴァンギャルドでしたよ(笑)。

    ――宅録に関して家族からは何か言われたりしませんでした?

    実家は田舎の一軒家だったので、大声で歌っても問題にはならなかっ
    たですね。部屋で歌い始めても、家族は「ああ、はいはい」という
    くらいで、僕が恥をかくだけで済んでいました(笑)。都会だった
    らこうはいかなかったでしょうね。

    ■知られざるバックグラウンド

    ――当時影響を受けたミュージシャンは?

    一番は何と言ってもスピッツです。邦楽で一番最初に買ったアルバ
    ムもスピッツのものでした。メロディーも歌詞も演奏も本当に好き
    で、コピーしていたのもずっとスピッツの曲でしたね。
    その一方で、まだ血気盛んな少年でもあったので、もっと激しい曲
    でギャンギャンとギターを弾きたいという思いもあって、ミッシェ
    ル・ガン・エレファントとブランキー・ジェット・シティにもハマ
    りました。あとは当時読んでいた『ギターマガジン』に、ギタリス
    トの方が「影響を受けたCD10枚」を挙げるコーナーがあったん
    ですけど、そこで紹介されているCDはよく買っていましたね。
    ニルヴァーナやレッド・ホット・チリ・ペッパーズの存在を知った
    のもそこでです。ただ、やっぱりメインで聴くのは邦楽でしたね。
    洋楽は歌詞がわからないので(笑)。
    曲を作るときも歌詞から作りはじめるんですよ。何か言いたいこと
    があって、それにギターを弾きながら曲をつけていく。何となく形
    になってきたら伴奏をつけて、という感じです。そもそもオリジナ
    ル曲を作りはじめる前から、歌詞みたいなものだけは書きためてい
    て……中2の頃から中二病をこじらせたみたいなものを(笑)。

    ――文芸にも興味があったということでしょうか?

    実は高校では文芸部に入っていて、会誌に詩を書いたりもしていま
    した……けど、自作するだけで読者として文学に触れてきたわけで
    はないんですよね(笑)。草野マサムネさんの歌詞に影響を受けた
    り、浅井健一さんのとんでもない歌詞に感じ入るということはあり
    ましたけど、活字でちゃんと読んでいたものといえば、ゲーム雑誌
    に載っていたTRPGのリプレイ(注11)とかゲーム系のノベラ
    イズですね。高校に入ってからはもうTVゲームはやらなくなった
    のですが、代わりにTRPGにはすごく興味を持つようになってい
    て。『マジック・ザ・ギャザリング』(注12)にもハマってまし
    た。

    ――ゲームはノッツさんにとって重要な部分なんですね。

    そうですね。音楽に目覚める前は、ゲームクリエイターになりたかっ
    たんですよ。作曲をやりたいと思ったターニングポイントの1つも、
    スーパーファミコンの『RPGツクール2』(注13)だったんで
    す。というのも、『RPGツクール2』では、自分で作った曲をイ
    ンプットしてゲームのBGMに設定できたんですよ。作曲専用の
    『かなでーる』というソフトまで出ていて、自分の作った曲をRP
    Gで流したいという一心で買いました。そこから音楽そのものへと
    関心が向きだしたんだと思います。

    ■人生を変えた織田哲郎氏との邂逅

    ――自作した曲は友だちに聴かせるだけでなく、どこかのレーベル
    へデモテープを送ったりはしなかったんですか?

    この話は公表していないんですが、僕の人生が狂ったきっかけとな
    るエピソードがあるんです。
     
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