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僕が尊敬するとよくネタで嘯く原敬は若いころから暗殺される晩年まで日記をつけていた。昔の人は隠すことがなかったせいかよく日記をつけていたように思う。逆に、平安や鎌倉時代の日記文学を最近読んだのだが、あれは日記と言えば日記だが、実際には日毎につけられているものではなくて、イベントが起きたときだけ書かれているよくできたお話に思われた。もちろん、虚構性が高いものの事実を元にしていることは確かだろう。ただ、太陽がのぼりそしてしずむという、そのリズムに則って書かれているとは限らないということだ。
なぜこういうことを書いているかと言えば、僕もまた日記をつけようかと思ったからだ。しかし、結局はやめることになると思う。昔の人がなんとなく日記をつけていられたのは、誰かに公開する前提ではなかったからだ。そんな前提の存在を考慮することもありえなかった。余計なことを気にせずに書いていられた。あるいは素人ブロガーもそ
なぜこういうことを書いているかと言えば、僕もまた日記をつけようかと思ったからだ。しかし、結局はやめることになると思う。昔の人がなんとなく日記をつけていられたのは、誰かに公開する前提ではなかったからだ。そんな前提の存在を考慮することもありえなかった。余計なことを気にせずに書いていられた。あるいは素人ブロガーもそ
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