どうも、
管理者のNDです。
4月30日は、
宮城県北部地震(1962)から57年です。
平成最後の記事となりますが、今回は57年前に起きた宮城県北部地震を紹介します。
この地震は、M6.5の直下型地震でしたがあまり世には知られていない地震です。
これでも死者3人出たほか、
貨物列車が脱線して転覆するなど、比較的大きな被害がありました。
特に登米市・田尻町・古川市で被害が集中していたようです。
地震活動は5月になってもしばらく揺れが頻繁に起こっていました。
石巻では20日で426回という余震が観測された記録も残っているようです。
今回は、
「自然災害は時を選ばないから...」をテーマにお伝えします。
”大地震はいつ来るかわかりません。”
と、この放送が始まってから1日たりとも言わなかった日はないぐらい、
毎日「そろそろ来るのか?」とか「来ると聞いたけど」という人に返信しています。
実際に皆さんが偶然で1度2度ぐらいは、大地震を当てたことがあるかもしれませんが
それは日々踊らされる地震の予言や噂、直感から些細な現象を気にしてしまっていて
大地震に予兆・前兆があることを信じてしまうことがよくあります。
実際に自分も耳鳴り経験は2度連続で新潟の異変を感じ取ったことから
一時期凄く信じている時期がありました。
ですが、冷静に考えると耳鳴りのする機会など毎日とまでは行かずとも、
疲労がたまる日に頻繁に起きることもありますし、単純に体調不良で起きることもあります。
地震雲も同様です。特徴的な雲など探そうと思えば快晴・曇天の日を除けば、
妙な形の雲などいくらでも存在します。また、季節・気候的なものの方が
違和感がある雲の形やできかたをするものは多いですから、季節の変わり目には
よく「不気味な雲を見た」と言われます。そしてそれをすぐに「これって地震雲?」と
結びつけようとする人が多すぎるのです。
逆に言えば、科学的根拠が証明されていない頃の虹は、
その美しさからむしろ吉兆と言われたこともあります。
珍しい形の雲に巡り合えれば、その珍しさが普通に価値あるものを見れて優越感に浸れる事も
普通にありました。
昭和ぐらいになると、いわゆる「言い伝え」が広まってそれが天気の傾向と分かるようになると、
むしろ雨雲からの羊雲は、天気回復の兆候と知れ渡るようになりました。
逆に、山に傘雲がかかる時は天気は下り坂など、天然の天気予報とも言えるものです。
地震と結びつけられるようになったのは、地磁気などから雲ができると伝えられた時からですが
それだけで今は、様々な違和感・不気味と言った雲ってだけで災害の予兆と不安がる人が
増えてしまいました。まともな頃の時代なら、地震雲には定義があるなどと言われた時代も
あるぐらいでした。もちろんその定義を満たしたところで大地震が必ず来るわけでも
ありませんでしたが・・・。
こんな形で結局、日常起こり得る事象に確証のある前兆も予兆もありません。
だからこそ、「大地震は突然やってくる」という通説を今後も教訓にしなければならないのです。
タイトルに加えて、時だけでなく、場所も選びません。
この平成の時代で嫌という程分かったとは思いますが、
数千年~数万年に一度しか活動しない活断層も、この日本にはゴマンと眠っています。
未知の断層も未だ多数ある中で、細かく見れば一つ一つがいつどこのが動き出すかなど
わかりません。
ここまで大地震だけですが、
自然災害全般で見ても、被害自体はどこで起きるかはわからないものです。
台風だって直前になっても、その地で氾濫が起きるかどうかなどはわかりません。
予想に反して大したことなく終わることもあれば、逆に想定を遥かに超える被害になることも
全ての台風で存在するのです。
噴火も地震より前兆活動がわかっても御嶽山で分かるように、数分前でしかわからず
異変を登山客に知らせる前にその瞬間がやってくることだってあります。
三原山のように、山頂火口で起きるとも限りません。
竜巻は進路さえもわかりません、ゲリラ雷雨はリアルタイムの天気レーダーでも掴めないのです。
令和の時代にまもなくなりますが、時代が移り変わっても
人類が自然に打ち勝つことができることは極めて難しいと言える世界が続くでしょう。
だからこそ、時に思い出し、時々で良いので皆さん自身が関心を向き合わなければなりません。
来る日に備えることはとても大切です。他力本願では、ただ自分が後悔するだけなのです。
地震がいつ来るか嘆く前に、まずはあなた自身が地震に耐性をつけられるようにすることが
自然災害からの恐怖を少しでも和らげる第一歩になるのです。
今日の記事は以上です。
皆さんの防災意識に少しでもプラスすることができたら嬉しいです。
明日もどうぞお楽しみください。
尚、感想はブロマガコメント欄でも放送内のコメントでもお気軽にどうぞ。
管理者のNDです。
4月30日は、
宮城県北部地震(1962)から57年です。
平成最後の記事となりますが、今回は57年前に起きた宮城県北部地震を紹介します。
この地震は、M6.5の直下型地震でしたがあまり世には知られていない地震です。
これでも死者3人出たほか、
貨物列車が脱線して転覆するなど、比較的大きな被害がありました。
特に登米市・田尻町・古川市で被害が集中していたようです。
地震活動は5月になってもしばらく揺れが頻繁に起こっていました。
石巻では20日で426回という余震が観測された記録も残っているようです。
今回は、
「自然災害は時を選ばないから...」をテーマにお伝えします。
”大地震はいつ来るかわかりません。”
と、この放送が始まってから1日たりとも言わなかった日はないぐらい、
毎日「そろそろ来るのか?」とか「来ると聞いたけど」という人に返信しています。
実際に皆さんが偶然で1度2度ぐらいは、大地震を当てたことがあるかもしれませんが
それは日々踊らされる地震の予言や噂、直感から些細な現象を気にしてしまっていて
大地震に予兆・前兆があることを信じてしまうことがよくあります。
実際に自分も耳鳴り経験は2度連続で新潟の異変を感じ取ったことから
一時期凄く信じている時期がありました。
ですが、冷静に考えると耳鳴りのする機会など毎日とまでは行かずとも、
疲労がたまる日に頻繁に起きることもありますし、単純に体調不良で起きることもあります。
地震雲も同様です。特徴的な雲など探そうと思えば快晴・曇天の日を除けば、
妙な形の雲などいくらでも存在します。また、季節・気候的なものの方が
違和感がある雲の形やできかたをするものは多いですから、季節の変わり目には
よく「不気味な雲を見た」と言われます。そしてそれをすぐに「これって地震雲?」と
結びつけようとする人が多すぎるのです。
逆に言えば、科学的根拠が証明されていない頃の虹は、
その美しさからむしろ吉兆と言われたこともあります。
珍しい形の雲に巡り合えれば、その珍しさが普通に価値あるものを見れて優越感に浸れる事も
普通にありました。
昭和ぐらいになると、いわゆる「言い伝え」が広まってそれが天気の傾向と分かるようになると、
むしろ雨雲からの羊雲は、天気回復の兆候と知れ渡るようになりました。
逆に、山に傘雲がかかる時は天気は下り坂など、天然の天気予報とも言えるものです。
地震と結びつけられるようになったのは、地磁気などから雲ができると伝えられた時からですが
それだけで今は、様々な違和感・不気味と言った雲ってだけで災害の予兆と不安がる人が
増えてしまいました。まともな頃の時代なら、地震雲には定義があるなどと言われた時代も
あるぐらいでした。もちろんその定義を満たしたところで大地震が必ず来るわけでも
ありませんでしたが・・・。
こんな形で結局、日常起こり得る事象に確証のある前兆も予兆もありません。
だからこそ、「大地震は突然やってくる」という通説を今後も教訓にしなければならないのです。
タイトルに加えて、時だけでなく、場所も選びません。
この平成の時代で嫌という程分かったとは思いますが、
数千年~数万年に一度しか活動しない活断層も、この日本にはゴマンと眠っています。
未知の断層も未だ多数ある中で、細かく見れば一つ一つがいつどこのが動き出すかなど
わかりません。
ここまで大地震だけですが、
自然災害全般で見ても、被害自体はどこで起きるかはわからないものです。
台風だって直前になっても、その地で氾濫が起きるかどうかなどはわかりません。
予想に反して大したことなく終わることもあれば、逆に想定を遥かに超える被害になることも
全ての台風で存在するのです。
噴火も地震より前兆活動がわかっても御嶽山で分かるように、数分前でしかわからず
異変を登山客に知らせる前にその瞬間がやってくることだってあります。
三原山のように、山頂火口で起きるとも限りません。
竜巻は進路さえもわかりません、ゲリラ雷雨はリアルタイムの天気レーダーでも掴めないのです。
令和の時代にまもなくなりますが、時代が移り変わっても
人類が自然に打ち勝つことができることは極めて難しいと言える世界が続くでしょう。
だからこそ、時に思い出し、時々で良いので皆さん自身が関心を向き合わなければなりません。
来る日に備えることはとても大切です。他力本願では、ただ自分が後悔するだけなのです。
地震がいつ来るか嘆く前に、まずはあなた自身が地震に耐性をつけられるようにすることが
自然災害からの恐怖を少しでも和らげる第一歩になるのです。
今日の記事は以上です。
皆さんの防災意識に少しでもプラスすることができたら嬉しいです。
明日もどうぞお楽しみください。
尚、感想はブロマガコメント欄でも放送内のコメントでもお気軽にどうぞ。