菊地成孔さん のコメント
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アイドル(「って誰だ?吾妻とかいうのはともかく」と云った、 SNS 平均の詮索がなかったことをとても希望的に捉えています。有難うございます)へのインタビューも無事終え、 DC/PRG の20周年への準備に勤しんでおります。即位の儀は、いつもの通り、音楽、服飾、精神分析の視点から拝見させていただきましたが、雅子が(同い年であり、外務省時代に共通の知人がいるので、それ以外の呼称で呼んだことがないので、ライトサイドで不敬だと思われる方はうちの事務所を爆破でもなんでもお好きにしてください。因みに山本美憂も、僕に取ってはガキなんぼ作ろうと永遠に「美憂」のままです)、まあ、寛解という概念自体が難しい症状とはいえ、「もう、ほぼほぼ大丈夫ではないか?」というほど元気になったことが、「服のサイズ感」に明確であることを感じ、とてもナイスな気分です。
小田島氏はまだSNSが無い時代から、臍ピアスを公開したり、ドルチェ&ガッバーナで全身揃え(もちろん、プライベートで)たことを公表したりと「セクシーでゴージャス」を、ものすごく下品でパワフルに押し出す音楽ライターでしたが、結果として、形式的には湯山玲子氏と同型で、基本的にポップ・ミュージックの事が理解できず(愛好はできるけれども)、比較的早くからクラシック界に転じましたけれども、湯山氏のようなサラブレッド(お父上が高名な作曲家です)とは違い、「ポップスと比べて」「クラシック(確か、最初期はオペラ)のが」「セクシーでゴージャス」ぐらいのアティテュードだと思われますので(ポップスをやっていた頃よりか、クラシックの方が2%ほど腕を上げましたが)、こんなアティテュードはオペラとポップス双方に対する侮辱であり、侮辱を侮辱と感じない者は、多く自らをさえ侮辱するので、今頃は指揮者の精液でも飲んで繋いでいると思われます。
以上のような理由により、僕は女性を尊敬しますが、小田島氏は性別に関わらず全く尊敬できません。エピソードトークを書きます。氏は第1期スパンクハッピーのファンで、音楽を理解しないポップス評論家に多いのですが、作詞を気に入り、インタビューの時に、それをハラミドリ(当時)さんのものと決めてかかっていました。
一期スパンクスは、ファイナルとも通じますがジェンダー転倒という属性をテーマ化していました(二人の作業を見る限り、ファイナルのがもっと徹底的にジェンダーを解体していますが)。作詞は女性、作曲は男性。という旧態の常識をバラし、「作曲は全員、作詞(というか、全テキストは男性(僕)」とフィクスしていたからです。これまたファイナルと通じていますが、更にそれを秘匿しました。第二には語り手の意識を試すためです(第一には、謎めかすためですが)。
小田島氏は「ノールームメイト」という曲の歌詞に熱烈に入れあげ、しばらく熱弁した後、「ハラさんの意識が私に憑依したのかと思った」と言いました。なので僕は「あれを書いたのは僕です。僕があなたに憑依したんですね」と言ったのです。
その時の氏の対応は、騒ぐでも黙るでも、見苦しいでも見事でもなく、なんかフニャフニャした感じで脱力的に先に進んでしまう。という者でした。これは端的に、バカの特徴です。以降、スパンクスは2期に入り、僕は青春謳歌をカットし、退行的な性倒錯をメインに、つまり、共有的かつ遠過去的な物をメインに、全曲を作詞しました。極限するならば、2期は全曲「こどものうた」であって、子供でいる事が半永久的に可能になり(それは当時から兆しがありましたが)、かつ、国是に近い共有意識になった15年後に支持者が急増するのは小学並みの簡単な算数です。
それを「引きこもりのネクラの妄想」と、あたかも被差別特殊であるかのように逡巡なく切って落とすのは、2期をキモいキモい言居ながらヒーヒー言っているカスタマーのレベルとなんら変わりません。ストリート育ちの僕などより、オペラの有名作曲家の方が、遥かに引きこもりのネクラの妄想だと思いますが。
氏のことを、課金してお読みいただいている読者の方々に書くのは、コメ欄のアンサーといえども、時間の無駄というか、紙面の汚染にしかなりませんが、「ポップスからクラシックへ」とか「ジャズからロックへ」とかいう、移動性に関する一例(移動が悪いと言っているのではありません。どういうレベルで、どうやって、なぜ移動するのか?あるいは並行するのか?と云った話です)だと思い、書いてみました。失礼をば。
「多動」は、一般的にはコンプライアンスぎりぎりですが(笑)、この場では良しとするとしまして、町山氏の奔流する激情が、多動性のような身体から発する物とはあまり思えません。ましてや巷間言われがちな、民族的な差別に育まれた多血漢的だともあまり思えず、ご指摘の通り、比較的一般的な、テンプレ反体制のバカ中年(「サブカルなんて、オタクでモテなかった奴が売れて急にモテたから鬱になるんだ」というのは、昭和のバカ親父が「根性がないから自殺なんかするんだ」と言っているのと酷似しています。つまり、バカなので愛されるわけで、あれだけヘタクソで、あれだけつまらないのに、あれだけ読者がいるのは、愛されキャラだからでしょう)にありがちな、ごくごく普通の権力志向だと思います。「権力志向」を翻訳気にかけると「バカ中年のテンプレ反体制」と出てくるでしょう。
かなり幼稚な行動原理であって、氏も書物だけに絞っていれば、ここまで馬脚を表さなかったと思います。ネットは退行的な本性を暴く機械で、僕ですらうっかりしがちです。SNSを手にして、怖くて引いた。というサブカル中年を、僕は僕以外知りません。全員が退行的な本性を現しまくっています。そして、幼児こそが最大にして最無能な正義漢であるのは、僕の中ですでにクリシェになっていることです。町山氏はある世代のあるセクトの体現者で、そういう意味では僕となんら変わりません。
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