アイドル(「って誰だ?吾妻とかいうのはともかく」と云った、SNS平均の詮索がなかったことをとても希望的に捉えています。有難うございます)へのインタビューも無事終え、DC/PRGの20周年への準備に勤しんでおります。即位の儀は、いつもの通り、音楽、服飾、精神分析の視点から拝見させていただきましたが、雅子が(同い年であり、外務省時代に共通の知人がいるので、それ以外の呼称で呼んだことがないので、ライトサイドで不敬だと思われる方はうちの事務所を爆破でもなんでもお好きにしてください。因みに山本美憂も、僕に取ってはガキなんぼ作ろうと永遠に「美憂」のままです)、まあ、寛解という概念自体が難しい症状とはいえ、「もう、ほぼほぼ大丈夫ではないか?」というほど元気になったことが、「服のサイズ感」に明確であることを感じ、とてもナイスな気分です。
ビュロ菊だより
<菊地成孔の日記 / 令和元年10月27日午前3時記す>
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コメント
コメントを書く>>16
救援物資、確かに考えてみればそうでした。何か当たり前なこと言っちゃいましたね笑。
私も参戦、お布施、乱入(これはそもそも使えるようなワクワクする状況になった事がないですが)は使ったことありません。特にお布施は意味的にも、せめて推しの属する口座に無条件で入金するか、おひねりを舞台に投げ込んでから言え!と思います笑。
>>12
笑
Electric神社にはわたくしも参っておりましたが、確かに一生さんはconductorのようでしたね、、
>>19
いやいや(笑)今の日本で、阿部さんと言わず、孫正義と言わず、皇室関係者と言わず、要人の暗殺なんて行われないですよ(笑)。第一におっしゃる通り、暗殺という行為自体がオワコンで、今は社会主義の国にしか残されてません。第二に、もし暗殺すべき要人が現れたとしても、そんな根性ないように躾けられてるでしょ。インターネットに(笑)。それこそサブカルですよ。物に躾けられてるんだから(笑)。
組んだら「ダメだこれは」っていう人はいっぱいいますよ。世の中には上には上がいるし、下には下がいるんですよ。ただ、僕に仕掛けてくる人はみんなかなり弱いですけどね(笑)。強者は僕なんか相手にしないんじゃないですか(笑)。
>>20
卓見というか、ほんとおっしゃる通りで、お布施は物を買うことではないので(笑)、パトロネージしたり、札束をステージに投げ込むまでは消費ですよ単に。まあ、消費する側に、かなりイージーとは言え宗教観にほど近い強い気持ちがあるのだ。というのと、新興宗教にハマっちゃってお布施取られてるという、狂信への自嘲があるんでしょうね。本当にちゃんと消費している、という人は、あらゆる課金を、宗教なんかに例えないんじゃないですか?
>>21
まあまあイガちゃんは良い人なんで(かなり)、全然構いませんけどね、物凄く虚しいライブだった(笑)。聞こえないんだもん自分の音が(笑)。
おだじまん、久しぶりに聞く名前でした。元RO一派とは一線を引いてクラシック業界で活動してるようですが、そんな事もあったのですね。町山氏については同世代という事もありあの政治姿勢は基本的にデフォルトかなと思っているのでサヨクでもなんでもないと考えています。それよりも多動性の傾向があるかもと感じいます。
>>25
小田島氏はまだSNSが無い時代から、臍ピアスを公開したり、ドルチェ&ガッバーナで全身揃え(もちろん、プライベートで)たことを公表したりと「セクシーでゴージャス」を、ものすごく下品でパワフルに押し出す音楽ライターでしたが、結果として、形式的には湯山玲子氏と同型で、基本的にポップ・ミュージックの事が理解できず(愛好はできるけれども)、比較的早くからクラシック界に転じましたけれども、湯山氏のようなサラブレッド(お父上が高名な作曲家です)とは違い、「ポップスと比べて」「クラシック(確か、最初期はオペラ)のが」「セクシーでゴージャス」ぐらいのアティテュードだと思われますので(ポップスをやっていた頃よりか、クラシックの方が2%ほど腕を上げましたが)、こんなアティテュードはオペラとポップス双方に対する侮辱であり、侮辱を侮辱と感じない者は、多く自らをさえ侮辱するので、今頃は指揮者の精液でも飲んで繋いでいると思われます。
以上のような理由により、僕は女性を尊敬しますが、小田島氏は性別に関わらず全く尊敬できません。エピソードトークを書きます。氏は第1期スパンクハッピーのファンで、音楽を理解しないポップス評論家に多いのですが、作詞を気に入り、インタビューの時に、それをハラミドリ(当時)さんのものと決めてかかっていました。
一期スパンクスは、ファイナルとも通じますがジェンダー転倒という属性をテーマ化していました(二人の作業を見る限り、ファイナルのがもっと徹底的にジェンダーを解体していますが)。作詞は女性、作曲は男性。という旧態の常識をバラし、「作曲は全員、作詞(というか、全テキストは男性(僕)」とフィクスしていたからです。これまたファイナルと通じていますが、更にそれを秘匿しました。第二には語り手の意識を試すためです(第一には、謎めかすためですが)。
小田島氏は「ノールームメイト」という曲の歌詞に熱烈に入れあげ、しばらく熱弁した後、「ハラさんの意識が私に憑依したのかと思った」と言いました。なので僕は「あれを書いたのは僕です。僕があなたに憑依したんですね」と言ったのです。
その時の氏の対応は、騒ぐでも黙るでも、見苦しいでも見事でもなく、なんかフニャフニャした感じで脱力的に先に進んでしまう。という者でした。これは端的に、バカの特徴です。以降、スパンクスは2期に入り、僕は青春謳歌をカットし、退行的な性倒錯をメインに、つまり、共有的かつ遠過去的な物をメインに、全曲を作詞しました。極限するならば、2期は全曲「こどものうた」であって、子供でいる事が半永久的に可能になり(それは当時から兆しがありましたが)、かつ、国是に近い共有意識になった15年後に支持者が急増するのは小学並みの簡単な算数です。
それを「引きこもりのネクラの妄想」と、あたかも被差別特殊であるかのように逡巡なく切って落とすのは、2期をキモいキモい言居ながらヒーヒー言っているカスタマーのレベルとなんら変わりません。ストリート育ちの僕などより、オペラの有名作曲家の方が、遥かに引きこもりのネクラの妄想だと思いますが。
氏のことを、課金してお読みいただいている読者の方々に書くのは、コメ欄のアンサーといえども、時間の無駄というか、紙面の汚染にしかなりませんが、「ポップスからクラシックへ」とか「ジャズからロックへ」とかいう、移動性に関する一例(移動が悪いと言っているのではありません。どういうレベルで、どうやって、なぜ移動するのか?あるいは並行するのか?と云った話です)だと思い、書いてみました。失礼をば。
「多動」は、一般的にはコンプライアンスぎりぎりですが(笑)、この場では良しとするとしまして、町山氏の奔流する激情が、多動性のような身体から発する物とはあまり思えません。ましてや巷間言われがちな、民族的な差別に育まれた多血漢的だともあまり思えず、ご指摘の通り、比較的一般的な、テンプレ反体制のバカ中年(「サブカルなんて、オタクでモテなかった奴が売れて急にモテたから鬱になるんだ」というのは、昭和のバカ親父が「根性がないから自殺なんかするんだ」と言っているのと酷似しています。つまり、バカなので愛されるわけで、あれだけヘタクソで、あれだけつまらないのに、あれだけ読者がいるのは、愛されキャラだからでしょう)にありがちな、ごくごく普通の権力志向だと思います。「権力志向」を翻訳気にかけると「バカ中年のテンプレ反体制」と出てくるでしょう。
かなり幼稚な行動原理であって、氏も書物だけに絞っていれば、ここまで馬脚を表さなかったと思います。ネットは退行的な本性を暴く機械で、僕ですらうっかりしがちです。SNSを手にして、怖くて引いた。というサブカル中年を、僕は僕以外知りません。全員が退行的な本性を現しまくっています。そして、幼児こそが最大にして最無能な正義漢であるのは、僕の中ですでにクリシェになっていることです。町山氏はある世代のあるセクトの体現者で、そういう意味では僕となんら変わりません。
先日、東浩紀さんがツイッターのアカウントを削除して話題になっていました。ご本人曰く少し前から辞めたかったが、広報としての役割も大きかったのでなかなか辞められなかったそうです。
個人的な感覚として、現在はともかく5,6年前までは、ツイッターの広告としての機能が素朴に信じられていたように思いますが、そのような状況であきらかにツイッターに向いている(多くのフォロワーを得られるという意味で)菊地さんが手を出さないことに色々と考えさせられました。
今は宣伝する側も受け取る側も仕方なくSNSでといった疲労感を感じます。個人ブログの時代は宣伝にもっと勢いがあったような。。
>>27
僕は、共演者、メンバーがライブ後の打ち上げでTwitterを見て、どんどん暗くなったりするのが大嫌いで、酔ってる時とか、「せっかく楽しく飲んでるのに、お前、何やってんだ?(笑)」とか言いながら、そいつのスマホに醤油とかソースとかをジャブジャブかけたりしています。
自分の演奏が、自分で納得できなかった。それだったらよくあることで、チャーリーパーカーが、ものすごい演奏をした日に、ガンさーシュラーが感動して楽屋に行ったら、頭を抱えていて「今日は自分の真似をしているうちに一晩終わってしまった。なんてこった、、、、」と、ムッチャクチャ暗くなっていた。と言う話は素晴らしいと思いますが、自覚ではなく、あんなもん見て落ち込んでたら、怨念持ちを上からくることで晴らそうとする、哀れ極まりない人々の思うツボです。「仕舞え、帰るまでその変な板切れ出すな(笑)な?(笑)」と言いながら、取り上げて火鍋の中に落としたこともあります(笑)。
Twitterにこんなこと書かれた。と、憤ってる者も多いので、「言い返せよ。どうせ無責任なバカで、アーティストが言い返してこないとタカくくってんだろ」「そんなの大人げないじゃないですか」「馬鹿の書き込みに腹立てバイブス悪くしてる方が1兆倍大人げないよ(笑)。二度と言われないように潰せ。相手を。これはなあ、イジメの問題なんだ。一回、囲まれたら、誰彼関わらず耳たぶでも鼻でも噛み切って、こいつヤベエと思わせれば少なくともそいつは二度と来ない。相手の背が高くて顔面をかじれなかったら、キンタマを思いっきり掴んで、引きちぎれ。引きちぎれるぞ。俺の握力でできたんだからお前もできる」「でも学級じゃなくて、相手は何万なんですよ。ずーっとやるんですか」「そうだ(笑)」「出来ませんよそんなの」「じゃあ、やめればいいじゃん。見なくても死なないぞ。オレ見てないよ。どうだ?見てないとオレ駄目か?」「全然駄目じゃないです」「だったら止めろ。オレ、SNSなんかで苛立ってるやつと演奏したくないから」「やめられないですよ」「なんで?」
ここで必ず彼らは
「だって、宣伝媒体だもん。菊地さんはいくらでもあるじゃないですか、こっちはコレしかないんですよ」
と言います。
ご贔屓筋ならご存知だと思います。僕は一度だけ試験的にTwitterをしました。そして、それの目的は「DCPRGリユニオンの野音単独ギグの宣伝」だったんです。2010年の8月から10月までの限定でした。
「菊地さんがツイッターで煽れば瞬殺ですよ」と、スタッフは言いました。
始めてみると、シャブみたいで、こんな面白れえモンねえな。と言う感じでした(僕にとって)。僕は、ライブの告知に「○月○日 新宿ピットインでライブがあります。ヤバい演奏するんで来てください」などとホームページに書いてそれで良しとしているのは、少なくとも自分の仕事ではないなと思い、宣伝に添える、ちょっとした読み物を書いて、宣伝をリッチにして、勝手に悦に入っていたら、それが「スペインの宇宙食」として出版され、物書きになった者です。「粋な夜電波」のテキストリーディングやコントも、スポンサーさんに頼まれてもいないし、一銭ももらってないのに「勝手にCM」と言って、スポンサーさんの商品をテーマにしたコントやテキストを書いたら、それが人気企画になった人間です。
もしTwitterに、本当に宣伝効果があったら(実績が出たら)、僕は今頃、Twitterの有用性と、自分の資質(宣伝をネタに散文を書く)と掛け合わせ、Twitterが手放せなくなっていたと思います。
ところが、チケットは、僕がTwitterを始める前に、ほぼほぼアウトしてしまい(笑)、僕のTwitterが終わってから、計算したら100ぐらいしか伸びませんでした(笑)。フォロワー数は覚えていませんが、95%のフォロワー、並びにリツイートの拡散先の人々の95%は「面白れえなこいつのtwitter(笑)。あ、ライブがあんのか。へー」と言う感じだったと思います(笑)。
あれ以来、僕はTwitterの宣伝効果というものを、少なくとも、僕に関しては、信用度0%です(笑)。もう一度言いますが、2010年の話です。
僕はブログを毎日書いていた頃の方が、ブランディングや写真効果による誘導力によって、ライブや出版の宣伝効果が少将はあったと思っています(時っすを確認したわけではありません。あくまで気分)。ツイッターの宣伝効果を信用している人は、Twitterをやらないと○○枚だった売れ行きが、ツイッターで拡散すると○○○○枚になった。という比較データを得てから「宣伝媒体」などと、たわけたことを言えば良いと思い続けてきました。
ちなみに、ツイッターに限定した話ですこれは。他のSNSで、どれほどの効果があるか知りません。僕も、ツベは使いますし、最終スパンクスにはインスタもTwitterもやらせていますが、インスタグラムのが効果があるような気がしています(実数確認なし)。僕がインスタグラムでチェックしてるのは叶姉妹だけですが、彼女たちの宣伝に乗った気はしていません。
僕が人々がTwitterにハマるのは、「嫌な目にあうから」の一点しかないと信じています。これはフロイドではなくアドラーですが、人は、嫌な目に合わないと、生きている心地がしません。耳に優しい甘言だけだと、人は生きている心地がしないそうです。すごい説得力、さすが分析を密室からカフェに移動させた学者。
何れにせよ、他者の評価が自分を生かしている、という、自己喪失には違いありません。僕は、自分が良いなと思ったら自信を持つし、自信を持ったことしかやりません。なので、たわけたディスがあったら「あいつらと同じレベルに立ちたくない」などという詭弁を弄さずに、どうせ名無しのバカなんだから、やつらがイジメられた経験を思い出して嫌気がさすぐらいやっちゃいますし、ストレス解消にもってこいです。そして、高評には粛々と首を垂れればそれで良いと思っています(せっかく褒められたのに、「褒められどころが全然違うんだよなー」とか、甘えもここに極まれり、といった発言をするクソもいますし)。
日本のTwitterカルチャーは陰湿と用地の一言に尽きます。グジグジ傷つけあいたくてやってしまい、結果ヘトヘトのイライラになってるだけでしょう。宣伝なんて、絶対に詭弁ですよ。頭を使えば、他に宣伝の方法はいっぱいあります。東さんは尊敬する学者の一人です。非常に正しいと思います(東さんをして「宣伝用に使わなければならなかった」と思わせしめたTwitterの実力も凄いですけどね)。悪いことは言わないです。全員で一斉にやめちゃえばいいんですよ(絶対ないけど・笑)。
>>26
長文のご返答ありがとうございます。確かに湯山さんは共通する部分はあると思いますが背景が全然違いますね。それこそ水曜wantedの湯山さん登場回を思い出しました(しがみつき発言スミマセン)。町山氏のコメントについては色々思い当たる事があり勉強になりました。ありがとうございます。吉田さんとの番組が面白かったので、今後はラジオとは言いませんがこのチャンネルでの生番組とかも期待しています。