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カーさん のコメント

こんにちは。音楽との関係性ということで最近の出来事を思い出しました。僕はコンビニなどで売ってる焼プリンが好きでよく買ったり食べたりしてるのですが、焼プリンの焼きの技術がいつも気にかかります。プラスチックの容器を溶かさずにどうやって焼いてるんだろう?というシンプルな疑問があるからです。そんな疑問をどこかで抱えたまま、先日友人に何か怖かったり緊張感のある音楽はないか?と聞いていくつか教えてもらったのですが、その中におそらく誰もが一度どころか何度も耳にしたであろうクラシック音楽がありまして、そのときもプリンを食べながら聞いていました。「ながら聞き」というと聞き流す印象がありますが、せっかく教えてもらった音楽なので音楽と正面に向かい合うような形で聞いていたのです。するとあるイメージが湧いてきました。道を歩いていると頭に鳥のフンが落ちてきて手に取って見ると、それはプリンだったというものです。見上げると鳥だか牛だかわからない見たことのない不思議な鳥。音楽と映像の不思議な距離感。音楽を聞いていて頭の中に映像が流れたという経験が今までなかった(忘れているだけかもしれませんが)ですし、思い浮かんだ映像に対するフェティッシュな感覚も僕の中にはないと思われ個人的にとても新鮮でした(食べ物に対して汚いイメージ持ち出したことで不快になった方がいらしたらごめんなさい)。しかしながら焼きの技術の謎はまだ解明されておらず、焼き鳥や焼き肉の焼き方はわかるのに、なぜ焼プリンの焼き方だけわからないのか?と頭の中であの鳥のような牛のような鳥がぐるぐると旋回している状態です。コメントの日本語訳もわからないまま初めてコメントしてみました(プリンはプリン、コメントはコメントということ・・かしら?)。今日は菊地さんの音楽を聞きながら焼プリンを食べてみようと思います。
No.8
45ヶ月前
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 ディナー時間の生活支配力はただならぬ物があり、生活時間が一向に夜型に戻らない。「大恐慌のラジオデイズ」の収録だけが0時からでないと気が乗らないので、0時から早朝にかけてやっているが、コレもその内21時ぐらいから始めるような気がする。    ここ最近はメールボックスに届くファンメールが増えている。2000年代のファンメールを数えてみたら、年間3通とかいう年さえあり、それはこのブロマガを始めても変わらなかったのだが、「拾った CD をかけっぱなしにして質問に答える」の影響もあってか、今年に入ってから急増している。    そのほとんどが長文である。人々は長文に飢えているのだろうか。そしてその多くが、ライブの感想とかではなく、人生相談に近い。時代の推移を感じる。「スペインの宇宙食」を出したばかりの頃(もうそろそろ刊行20周年である)は、長文しか来なかった。過日「10年ひと昔」という言葉があったが、やはりコロナ禍の影響か、「ひと昔」は20年になったのだろうか。  
ビュロ菊だより
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