菊地成孔さん のコメント
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今、坪口のトリオが演奏を始めたところだ。僕はピットインの控え室にいる。さっきまで、藤井さんと坪口と菊地雅章くんと三人で旧交を温めていた。菊地(雅)くんと藤井さんは喫煙者なので、控え室がモクモクである。一昨日のオーチャードホールが実は今年最初のライブだったので、今日が2回目になる。開口一番、藤井さんは「猛烈に久しぶりだねえ」と笑った。「藤井さん良く生きてましたね笑」「オレも菊地がどうしてるかなあと思ってたよ」「ポンタさんがねえ」「あいつ、オレより一つ上なんだけだから」「まあもう」「誰が死んだっておかしくないよな笑」「そうですね笑」「オレ、ずっとスティックも握ってなかったから、、、、、叩けないよダッハハハハハ」「オレもそうですよ笑」「え。菊地、またタバコ始めたの?」「はい笑」「一本、、、」
藤井さんが手を伸ばしたので、箱から一本だけ飛び出させて渡し、藤井さんが咥えるタイミングで150円
全ての音楽に完成形は(概念的な意味ではなく、具体的、即物的な意味でも)ありません。なので、製作経過を見せるのはおっしゃる通り、セクシャルな行為ですね。今はもう大流行の「あのお菓子は、工場でこう作られていた!」みたいな動画はエロティックですらありますよね。音楽は管理された工業的過程とは違うので、ご指摘のイマジネーションが大いに働きます。イマジネーションの駆動が、生きる喜びであることも、再びご指摘の通りです。
ゴダールはこのことを、音楽に対しする愛が屈折した者として、非常に陰鬱に意地悪く、しかも政治性まで突っ込んで描きました(「ワンプラスワン」)。僕は、あらゆるバンドは、新曲のリハーサル(完成過程)を見せればいいと思います。これは、僕が知る限り、世界的に有名なクリエーターでやたのはゴダールと「オーケストラリハーサル」のフェリーニだけです。音楽のリハーサルは、映画の「メイキングオブ」とも、お菓子を含む工業製品の製作過程とも、流行りのクッキング動画とも違う、コミュケーションと複数名のイマジネーションが交差する、非常にセクシャルな物ですし、出来上がりがああいう曲だと、可愛さがひとしおです。
動画内の歌詞テロップは長沼が書いています(コメントは僕が書いています)。カラオケの動画みたいですよね笑
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