菊地成孔さん のコメント
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新宿には結構な数の喫煙可能な店があり、そのほとんどがカフェなのだが、いろいろな店があって助かる。今はそのうちの1つで書いている。一時期激減したストーカーさんがまたぞろ増加傾向にあるので(コロナと関係があると思う)、それがどこの店で、どういう時間帯にどういう周期でそこにいる、とかいったものが書けないのが、つまらないと言えばつまらない。僕はキチガイと対話するのが特に嫌ではない。
彼らは、僕の熱狂的なファン、と自称するが、実際には自分の熱狂的なファンで、身の上話を聞いてやり、自己表現欲を満たしてやれば、落ち着く、ただ、僕を殺そうとしたり、大声で詰め寄ろうとする者も多いので、店に迷惑をかけたくない。警察は昔と全く変わらず、物凄くめんどくさい。
透明なブース付きの店、小さな店の入り口のところに灰皿があって、ドリンクを持ったままそこまで移動すれば良い店、がっつり店内全席喫煙席、という店もある。老人女性が個人でやっている店で、全席喫煙で、尚且つ入り口に、客以外の人々の為に、灰皿が置いてあって、ダンボールに手書きの字で「喫煙所」と書いてある店もある。
現代フェミニスト諸氏はもう過去の雅語として容認してくださっていると思いますが、昭和までの日本には、明らかなディスターブとして「女、子供騙し」という言葉がありました。女と子供にはあらゆる表現は理解できなく、稚拙なものを喜ぶだけである。という意味です。
また「お涙頂戴」というディスの定番もありました。「頂戴」は「頂戴しました」と送られることでも分かる通り、受動です。なので「あんなもんはお涙頂戴だろ」とけなす時、それは作り手も受けてもディすっていた訳で、意味としては「ストレートに泣けそうな物を出して、案の定泣かせ、金を取るのは下衆である」という意味です。
どちらも今、「なんだそれはけしからん!!」という反応よりも「はあ?」という反応のが強いと思います。それほど、女性の感性、対抗的表現は強度を持っていますし、泣かせ、泣く、というリレーションに、加工を加えない、ピュアな手法は最強度で一般化しています。蛇にピアスのみならず、金原さんは、歴とした女性小説を書きながら、女、子供騙しを一切しないし、お涙頂戴も一切ない、優れた小説家の一人だと思います。
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