新宿には結構な数の喫煙可能な店があり、そのほとんどがカフェなのだが、いろいろな店があって助かる。今はそのうちの1つで書いている。一時期激減したストーカーさんがまたぞろ増加傾向にあるので(コロナと関係があると思う)、それがどこの店で、どういう時間帯にどういう周期でそこにいる、とかいったものが書けないのが、つまらないと言えばつまらない。僕はキチガイと対話するのが特に嫌ではない。
彼らは、僕の熱狂的なファン、と自称するが、実際には自分の熱狂的なファンで、身の上話を聞いてやり、自己表現欲を満たしてやれば、落ち着く、ただ、僕を殺そうとしたり、大声で詰め寄ろうとする者も多いので、店に迷惑をかけたくない。警察は昔と全く変わらず、物凄くめんどくさい。
透明なブース付きの店、小さな店の入り口のところに灰皿があって、ドリンクを持ったままそこまで移動すれば良い店、がっつり店内全席喫煙席、という店もある。老人女性が個人でやっている店で、全席喫煙で、尚且つ入り口に、客以外の人々の為に、灰皿が置いてあって、ダンボールに手書きの字で「喫煙所」と書いてある店もある。
コメント
コメントを書く>>22
現代フェミニスト諸氏はもう過去の雅語として容認してくださっていると思いますが、昭和までの日本には、明らかなディスターブとして「女、子供騙し」という言葉がありました。女と子供にはあらゆる表現は理解できなく、稚拙なものを喜ぶだけである。という意味です。
また「お涙頂戴」というディスの定番もありました。「頂戴」は「頂戴しました」と送られることでも分かる通り、受動です。なので「あんなもんはお涙頂戴だろ」とけなす時、それは作り手も受けてもディすっていた訳で、意味としては「ストレートに泣けそうな物を出して、案の定泣かせ、金を取るのは下衆である」という意味です。
どちらも今、「なんだそれはけしからん!!」という反応よりも「はあ?」という反応のが強いと思います。それほど、女性の感性、対抗的表現は強度を持っていますし、泣かせ、泣く、というリレーションに、加工を加えない、ピュアな手法は最強度で一般化しています。蛇にピアスのみならず、金原さんは、歴とした女性小説を書きながら、女、子供騙しを一切しないし、お涙頂戴も一切ない、優れた小説家の一人だと思います。
>>23
「シャルウィダンス」に描かれるアレは社交ダンス、つまりソシアルダンスですよね。今、世界的にソシアルといえば議論であって、日本人は古来、床屋談義とか井戸端会議とか、火事と喧嘩は江戸の華だとか言ってきましたが、ソシアルネットワークの中で、口角飛ばして誰もが熱心に議論する、論評を下す、ということはあまりしませんでした。前述民族性の話になりますが、SNSは人々のソシアルをダンスからツイートに移す力を持っていますし、日本人が踊らないのはカジュアルダンスなので、僕はカジュアルネットワークサーヴィスにすれば良いのに、と一瞬思うんですが、それはLINEか。と思い直したりしています。LINEでダンスすれば「ラインダンス」なので(もう止めます笑)
虐待に少しだけ仕事で携わってますが、壮絶です。そして勉強する度に自分はネグレクトだったんだなぁと思い当たる節はあります。もちろん親から暴力は受けてないけれど言葉の暴力受けていたのかなぁと思うこともしばしば、、、。罵声を浴びたわけじゃないけれどじわじわと家業を継げというプレッシャーに打ち勝てず、もう勝たなくて継いでしまおうと楽な方に逃げました。若い頃は自由って何?みたいな尾崎豊や渡辺美里に逃げていました。(山本拓夫くんのサックスいいですよね。佐橋君のギターも。)今となっては過去恥部だし(否定はしないけど)嫌な経験をしたおかげで人生豊になるなぁと逆にすくすく育たなくてよかったって感じている今日この頃です。
>>28
ネグレクトは育児放棄がメインですから、それは囲い込みのプレッシュアですね。稼業に関しては多かれ少なかれあるんじゃないでしょうか、僕もそうでした笑(つぎませんでしたが)。嫌なことも嬉しいこともあっても人生おですからね笑、すくすく育った子にもすくすく育った幸福があるとは思いますが笑。
金子さんの料理を食べて泣かれたというお話、この種の涙はとても共感できます。全然種類が違うかもしれませんが、子供の成長を感じたときにふわっと溢れる感じの涙がでます。そんな経験させてくれる子供や家族、私達を取り巻く社会に感謝です。
ちなみに、眼の症状によりますが、老眼鏡+ハヅキルーペの組み合わせは最強のようです。
2019年、勤め先が大不祥事を起こし半年以上真っ黒なスーツで昼夜土日も謝罪に走り回って心身をすり減らしておりました。さらに年末に甥っ子が亡くなり茫然とした状況で、彼が入院していた病院からすぐの京都メトロにFINAL SPANK HAPPYを観に行きました。
そんな状況でも音楽は身体を揺らしてくれました。謝罪と死が染み付いてしまったような黒い服装でも踊ることができるのだ。まだまだ私も不真面目になれるのだな、というのが癒しになったと思います。
こんばんは。最近コメントサボっておりました。
今年54才になるレミーコーションです。
バルト懐かしいですね。
中学時代よく読んでいました。
「彼自身によるロランバルト」
「恋愛のディスクール」
「明るい部屋」
は自分の中でバルト悦楽3部作でした。
みすず書房のうっとりするような装丁に魅了されたものでした。
そんな私は「よるべない」毎日を生きております。
押し付けがましくならないくらいの親愛の情を菊地さんへ。
いつもありがとうございます。
>>31
僕は子供がいないのでリアルにはわかりませんが、仰ることはよくわかります。とにかく今は文芸も音楽もお涙頂戴が多すぎて、時代だなあと思います。ハズキルーペと老眼鏡、やってみますね!笑
>>32
とても嬉しいです!彼らにも伝えておきます。彼らがハイモードでわざわざ振り付けているのが報われますね笑
>>33
みすずの装丁は本当に素晴らしいですよね。「寄る辺ない日々」とのことですが、まずは歩きましょう笑