菊地成孔さん のコメント
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ライブがない時というのはサックスのリペア(調整)に好都合だ。管楽器奏者でない方は「あ、プロというのは自分で調整するのだな、機械マニアのように」と思われるかもしれないが、管楽器奏者でセルフリペアできる人はほぼいないに等しい(ごくごく稀にいるが、現役バリバリのプレーヤーではない事がほとんどである)。石森管楽器に、ソプラノ、テナー、アルトを全部持っていった。管楽器奏者にとってリペア技師は医師に等しい。どこそこの誰々が上手い、素晴らしい、といった評価が決まっているのだが、僕はアマチュア時代から石森管楽器派である。
ここ最近、旧車の話が頻出するので、旧車の例えで言うと、僕はずっと旧車だったが、ここ数年で全て国産の新車に変えた(石森オリジナルモデル→キクチカメラ参照)。理由は、旧車マニアと全く同じで、操作性や性能が高く、リペアがパーフェクトにできるからである。ワインの話はほとんど出ないが、ワインマニア的に言うと、伊仏のグランヴァンを一通り飲んだので、サードワールドとか安ウマ、あるいはもっと端的に国産にする。と言うような話である。ワインにリペアはないが、アペリティフはある
大雨ですか。こちらは降ったり止んだりです。「訛り」の強度が一番強く出るのは、ご指摘の通り、言語ですね。音楽は言語上の色々な訛りを均等化する力があり、その分、音楽的を構造化するあらゆる物に、言語は影響します。なので、ヴォーカリーズの歌詞に関して訛るには、かなりの演舞性が必要ですよね(「やっぱすっきゃねん」とか笑)。
<特にキューバ人とアルゼンチン人同士が、互いに何を喋っているのか理解できていない場面にたまに遭遇します。
なぜ、外様の俺がお前らの会話を訳さなければいけないんだと。(海外に住まわれている方にはよくあることだと思います、話が通じていないのは、言葉の問題以外のところに起因していることもありますし)
キューバとアルゼンチンの通じなさ、これが革命のエンジンたる所以と理解しております。>
↑ 被支配国のスパニッシュに関しては僕もエグい問題だなあと思っています。在米キューバ移民のスペイン語と、ディエゴスキッシのスペイン語では、同じ言語とは思えませんし、アントニオロウレイロのポルトガル語は完全なブラジリアンで、リスボンのファド酒場で聞いた会話と同じ減とは思えませんでした。そして、僕には、アントニオのポルトガル語こそが、ポルトガル語だと聞こえてしまい、ブラジルの「音楽によるコンキスタドール」の力に改めて感嘆しました。
しかし、キューバ人とアルゼンチン人の噛み合わなさを革命のエンジンの有無だと捉えるのは慧眼だと思います。僕はディエゴスキッシと対談したとき「なんてこいつの言葉は母性的で柔らかいのか」と驚嘆し(僕より年下なのに、ルックス的には、僕のお父さんみたいになってるのに笑)、彼の音楽の、表面上の攻撃性とのリレーションを考えずに入られませんでしたし、ヨスヴァニーやテリオンと話すとき、特に彼らが、仲間内だけになって英語からスペイン語に変換する際、「なんて物騒な喋り方なんだ。Gラップみたいだな」と思いながら、彼らの音楽の、表面上のエレガンスとセクシー、それは球体的何ですが、それとのリレーションにも思いを馳せずに入られませんでした。
日本は「お上」に対する「平民」の態度を、少しずつ少しずつ取り戻していると思います。日本には日本のマナーがあって、ジャパンクールのように、庶民のアティテュードというものがあります。SNSによってこの取り戻しがブロックされるんだったら、この国はおしまいだと思っていました。
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