菊地成孔さん のコメント
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真夏が来た。 NHK が「いだてん」を集中放送している。とても良い。残念なのは、オリンピック直前の集中放送だという点である。僕は、メディアで言っても言っても全然使って貰えなかったので、仕方なくここに書くが、今年の大河は「いだてん」の再放送が一番良いと思っていたし、もし大河枠の再放送が無理だったら、3ヶ月ぐらいかけて全話を集中再放送するのが良いと思っていた。
有名なリーフェンシュタールの「民族の祭典」のを引き合いに出すつもりはないが、国民に政治的な偏向を与えたかったら娯楽が一番だ。ゲッペルスのいうとおり。「いだてん」は本放送当時、国民が落ち着いてゆったり鑑賞できる状態ではなかったし、今となっては振り返る(想起)するのにも鬱陶しい何かがへばりついてしまっているが、近代日本史の勉強になるし、歌舞伎俳優がテレビに出た時のスキルと演技プランが同じすぎて(大人計画も、ちょっとそう)、画面中の演技群
>>65
まず第一に、僕はこちらの会員の方に「叱る」などという事は、少なくとも種感情ではしたことがありませんし、したいとも思いませんし、しようとしても出来ないともいます。また、こちらを、様々な理由で退会されたり、また入会されてりするのも無条件に自由ですが、事もあろうに、第三者である小山田さんの世論での処遇を巡って、僕とあなたで斬った張ったみたいな事になるのは笑、あまりにバカバカしいと思います。何度も書いていますが、くだらんパパラッツィに「菊地がファンと小山田のことでバトって暴論吐いてるww」とか言われても気ぃ悪いですしね笑。
僕は僕なりに、小山田さんを尊敬しています。小山田さんに関してはそれだけです。僕が優れた音楽家をどれだけ尊敬しているかは、僕の日々の活動をご覧になれば了解いただけると信じています。ただここでは、小山田さんにまつわる、囲っている側、世界のあり方について、僕なりの考えを述べているだけで、もしお気を悪くされたら申し訳ありませんが、僕は僕なりの良心に従ってずっと生きています。良心の呵責は、少なくとも、ここでの活動では起こしておりません。
その上でレスさせていただきます。本当は、小山田ネタを、ここでこんないも引っ張るのは個人的に嫌ですし、小山田さんにも失礼だと思うのでしたくないのですが、もうこの際ですから徹底的にやりましょう笑。もちろん僕はあなたに悪意はありませんし、議論する上で、方法はどうあれ、最終的に目指しているものは和平です。以下、あなたを「honoiroさん」と呼ばず「あなた」としますが、これは入力の煩雑さを避けるためだけであって、他意はありません。それではよろしくお願い致します。あなたも、遠慮したり、逆に激昂したりしないで、落ち着いて俎上に上がった件についてお案が絵を述べてください。僕もそうしますので。
小山田さん関係は20年前にCD1枚を買った程度なので私はファンとは言えなさそうです。
↑ だとしたら、ですが、あなたは、「心情小山田ファン」「渋谷系が青春」といったバイアスは、少なくとも他のそういった方々よりも少なく、純粋に今回の小山田さんの吊るされに対し、SNS社会とかそういった一般論(世界側の)ではなく、独立した固有論として捉えているということでしょうか?僕は本件を、独立した固有性は認めますが(オリンピックですしね)、独立した固有生よりも、状況論の方が重要だという立場にいます。ここはご理解くだ猿とありがたいです。
<町山氏とフォロワーに叩かれることと、全世界から鬼畜扱いされるのでは、問題の程度が違い過ぎます。比較することそのものに誤りがあります>
↑ そりゃそうですけど笑、あの文章の中では、敢えて、比べるもんでもないことを比べて、別のトピックを浮き上がらせようと思っただけで、直接比較など、できるわけがないことは、十分理解しています。
ただ、あなたは、若干の興奮が見て取られ、というのは「小山田さん→世界中から悪役視された→途轍もない被害」「菊地→町山さんとそのフォロワーに叩かれてるだけ(現実には、そんな閉じた話ではないと思います。僕への「被害」は、町山さんのフォロワーを超えて「年寄りを引き摺り下ろしたい者」「僕のことを以前から気に食わなかった者」等々を巻き込み、セクト生は突破していると判断しますが)」=「被害の<程度>が違う」と明言してしまわれており、これは「お前は小山田さんに比べれば、たいした被害にあってないんだよ」という数の理論に、思わず走ってしまっているのではないでしょうか笑。
数はもちろん重要です。しかし、僕の被害のあり方と小山田さんの被害のあり方は、数的比較ではなく、質的比較の方がより適切だと考えます。僕は、レイシストとADHD差別者だと断じられましたが、彼のインタビューで、「昔、天才的な在日の友達がいて、仲よかったんだけど、いじめてましたよ。段ボールに入れて、ガムテで密閉して、花火突っ込んだりしましたね」というような事は言っていませんし、「ADHDとはまともに会話できないね。友達にいたけど、嫌いじゃなかったけど、全然疎通できなくて、いじめてましたよ」といった話はしてないです(今、こうした例え話をするだけでリスクが伴う世の中ですが、敢えて言いました)。言葉を切り抜かれただけです。元手ゼロでもスターリニズムは、言葉の切れっ端から吊るすことができ、今回僕は、小山田さんは、そういう例とは違うと判断しています。
小山田さんは、元テキストが存在し、自白しています。編集部も載せています。そのテキストの裏に、様々なクローズカードがあったりしても、ミームとして流れているのは、「原テキスト」ですよね。そこに、SNS使用者の心情に突き刺さりやすい(○○主義者とか、そういった、ある意味政治的なスタンスではなく、もっとダイレクトな)「いじめ」という行為が入っているので、爆発的に発火したと判断しており、オリンピック=世界世論から悪役扱い。は関係ないです。
というのは、僕だって、まかり間違えば3分ぐらいオファーがあったかもしれず(ありませんが笑)、その場合、僕は引き受けます。僕はレイシスト、知的発達障害者への差別主義者として、吊られたでしょうか?吊れないと思いますね。現に僕、具体的なアクションは何もしてないし、それをしたと話してもいないので、吊りたかったら、僕の過去の行状からそれを立定的に成立させないといけません。それは無理だと思います。
しかし、元手がコピーライト的な単語レベルで吊られてしまうスターリニズムの脅威もご理解いただきたいです。おっかないですよアレは。そういう意味で、「お前と小山田さんは、被害の規模が違うんだ」に還元するのは、ちょっとどうですかね笑。
<これは、菊地さんは原文や北尾さんのブログをきちんと読んでいないのだろうと思いました。北尾氏に晴らすべき自責の念は無いはずです。自責の念が感じられないが故に、酷評されています。>
↑「お前はアレをきちんと読んでない」と一方的に断じられても笑、僕なりの知性でちゃんと読みましたし、北尾くんの人となりも知ってます。僕は自責の念を感じました。
自責の念の証明は、「あの時はああいうノリでやっっちゃったけど、今になって反省しています。ごめんなさい」とか書くことではないです。それでは学級会の査定ですよ。自責の念がツイストして強がってしまっている、よくある例だと思いました。
僕は北尾くんに続く人も出てくると思っています。彼らは全て、言説上「ええ?それってそんなに悪いことかなあ?」みたいな形をとり、リベラルスターリニストから酷評されるでしょう。
これは、今回の件に照合すれば、小山田さんが、ひょっとしたらご本人の文章ではなく、弁護士リージョンにいる方の公式発表かもしれませんが、はっきりと「悪いことをした、反省している、謝りたい」と「言ってしまった」、この事が、時間的にも話の規模的にも追い詰められた結果の、悪手だと思います。
小山田さんが悪いことをしていないと思うなら、謝罪はすべきではないです。僕は悪いことをしていないと思っているので、謝罪しません(そのことによって、謝罪で射精したいリベラルスターリニストから、今でも熱狂的な憎悪を抱かれていると思います。それは承知の上で謝りませんでした)。
小山田さんは、過去、同件が取りざたされた時、沈黙しました。これは「わかってねえなあこいつら、説明してもわからねえだろうし、なんでギャラリーに謝んなきゃいけないの?オレと○○=当事者の方との個人的な話じゃないか」といったような感じで、沈黙されたんだと予想しますし、それは全く悪いことではありません。
ですが、今回の「公式謝罪」には、「もう世論はリベラルスターリニズムの時代だ。彼らに対しては、徹底的に謝罪をするしかない。もう昔とは、ストリートが違ってしまっている」という、ある意味で的確な判断をし、それを実行したことで、逆に「こう言っときゃ良いだろ的なチャラいコメントに聞こえた」という反応も引き出したと思います。小山田さんへの断罪は、「いじめは悪い」というシンプル断罪ではなく、「今になって土下座すんのかよ。嘘土下座だろ」といった反応も多分に含まれているのではないでしょうか?
そこに、北尾くんがのほほんとした風情で、細かい話を付け足した上で、「そんな悪いことかなあ?」みたいな助け舟(?)を出すのは、タイミング的にもタクティクス的にも、メンタル的にも、最悪です。小山田さんの公式の謝罪を「内心では小山田くんだって悪いことと思ってないんじゃ?」と逆撫でサポートする効果もありますし、もしそうだとしたら、小山田さんは、心にもない、「こいつら講師とけばいいでしょ。はいはい」といった、誠意にかけた謝罪を、公式としたことになってしまいます。
小山田さんはこれで、「いやあ、そんなこと言わないでよ。悪いことをしたんだよ私は。会って謝罪したいと思っているんだ本当に」といった、余計な上塗りを強いられることになってしまうのではないでしょうか?
要するに、アクションした人物が、「悪いことはしていない(理由は山ほど説明できるが、聞き入れてもらえないだろうどうせ)」と思うのであれば、謝罪はすべきではなかったし、自体もすべきではなかったと思いますし、公式謝罪がリアルなら、北尾くんのサポートは断固として抗議すべきです。発言と真っ向から対立するのだから。
<「時代の違い論」を小規模化しているのではなく、並列して、普遍的な意味合いで「あのように叩かれるような悪いことをしていない可能性が高い」と言っています。>
↑ これはわかります。並列していて、どちらも重いものだとお考えになっている。と言う事ですよね?ただ、小山田さんの行為は(そのインタビュー発言も含め)、普遍的な意味合いで「悪いことをしていない可能性がある」と言うのは、僕には届かなかったし、多くの人々も、「普遍的」と言うのであれば、「身体障害者をいじめる=暴行に近い内容」ことは、時代も経緯も超え「普遍的に」悪事である。と言う説得力のが(良し悪しは別として)あると思いますよ。今は、普遍性が幅を利かせ杉の世の中です。そんな中で「小山田さんの行為が」「普遍的な意味合いで」「悪いことをしていない」と3つ並べるのは、無理くりかな?と思います。
<北尾さんも「そもそも、そんなに悪かったっけ?」という話をしているはずです。私もそう思い、北尾氏がブログを発表する前に、すでに自分のブログでその意図を発表しました。>
↑ あなたがそう思うのは論拠もあるでしょうし、自由です。ただ、前述、小山田さんの公式謝罪を無化したり、コンフリクトしたりはすれども、助け舟には全くならないと思います。北尾くんのアクションと同調しているわけなので。
「じゃあ、どうすれば良かったか」と言われれば、ですが、無理くりにでも設定すれば、以下のようになります。
1)悪いことをしていないと思うのであれば以前と同じく沈黙を貫き、如何なる反応があっても、誇りを持って仕事をなされば良かった。
2)「みなさん騒ぎすぎです。僕と○○くんの仲には個人的で複雑な関係があり、図式的に斬られてしまうのは不本意です」と徹底的に抗えば良かった。
3)あの公式謝罪コメントをしたからには、「いや、悪いことなんかしてないんじゃない?」系のサポートに対し、公式な立場から、抗議する。「私は悪いことをしたのに、それを悪くないと言われるのは困る」と。言うのが良かった。
と思います。
世の中「良かれと思ってしたことが、相手を苦しめる / 追い詰める」といったことは、日常茶飯事です。映画におけるドラマトゥルギーの定番ですよね「良かれと思ってしたことが仇となり、、、、」と言うのは。あなたはそれをやっちゃってると思いますよ。
<考えた末の、以上の結論です。
小山田さんの件には複雑な真相があるはずだと私は思います。>
↑ 僕は、そう言うことは一切ないと思います。複雑な<真相。なんかどこにもなく、ただ、過去のテキストが見つかり、叩かれては超然としてきたのが、超然とできなくなった。と言う以上でも以下でもありません。こ<裏に複雑な真相が>なんて言ったら、どんなものにでも当てはまります。突き進むと、陰謀論と呼ばれます。
あのですね、昔は、半殺しにしたり、金を全部むしり取ったりしても、相手と友情が成立していた。と言う、現代ではとても信じられない人間関係が、普通にあったのです(普遍性は持ちません)。今「DV」と呼ばれていることは、長い間、夫婦の美徳、愛の証ぐらいに認識されていました。ストーカーは美しいとされました。
時代は変わったんです。僕は、小山田さんと、天才的だけど障害があるご友人が、加害者 / 被害者という二元論に、完全に収め切るのは、難しいと思います。それが二人の友情のあり方だったかも知れない。しかし、その時はそれが友情だと思っていたけれども、時を経ると、ムラムラと怨念が湧いてきた。なんてことも反極にあったりします。
オリンピックも、話の規模も、膨大な思い出や裏話も、「複雑な真相」も、何もないと思います。人間関係には、陵辱や暴力や搾取さえも、関係の根拠になり、双方がそれを楽しい思い出だったと思う、ということが、今現在にも普通にあります。浮気がやめられないから、この人と離れられない、これがあたしたちの愛し合い方なの。というケースなんか、そこらにゴロゴロ転がってますよ。
それを、許されざる悪徳だとする社会が来たんです。問題は、そこにしかないと思います。これは、人道や人権を、人間が歴史的にどう転がしてきたか?ということへの、全員の、きっとまとまらない対話にしか道はないと思います。何の問題もなかった事さえ、重罪視される世の中が今なんです。どんどんどんどん、人間は潔癖になる。貧困や不況や、性的欲求不満が重なれば、潔癖さはスターリニズムに一瞬で姿を変えます。それだけのことです。
そういう意味では、小山田さんは、時代を象徴したような問題に触れたお一人だと思いますし、その当時は、何の問題もない、複雑で濃密な友情関係を、当該の障害者の方と結んでいたかも知れません。僕の方が小山田さんとの年齢が近いので、肌感覚でも、よくわかりますよ。
しかし、です。同時に「もう、今はそういうのはダメなのよね。ひどい世の中になったけど、仕方がない」と思います。さらにそして、小山田さんは謝罪しました。世間が僕が育ての母を今、吊るような話かも知れないですね。僕の話を聞いて。そして彼女が、世間が騒ぐのを見て、「謝罪したい」と言ってるようなものです(実際にはそんなこと起こるはずもないですが、あくまで図式的に)。申し訳ありませんが、そんなのはナンセンスです。僕と彼女の間には、とても屈折した、とても深い愛が結ばれているのです。
<SBeeさんの>>25、そして菊地さんへの気遣いを感じる>>26の追記に対しての、菊地さんの返信>>39と>>40には良心を感じることが出来ず、萎縮したSBeeさんの返信>>39には、悲しさを感じました。>
↑ これは、他者の言説に対するあなたの評価で、SBeeさんにご迷惑やプレッシュアを与える可能性すらあると思いますよ笑。興奮に任せて「この人は、菊地の良心なき罵倒に、萎縮して、周囲を悲しませるようなことをした」と勝手に判断されても、「こればかりはSBeeさんに直接回答していただくしかないんじゃないでしょうか?」なんてことになったら笑、すげえプレッシュアですよ笑。後先考えて発言してください笑。
僕は笑、少なくとも当欄では、良心が呵責するようなことはしていませんし、自分なりの良心に沿って発言しているつもりです。耳が痛い話でも、愛を持って話せば、良心的である、と思っています。「こいつはこう言ってレバ喜ぶだろ」みたいな嘘くさいのは良心ではないと思います。
というか、「お前からは良心を感じない」「萎縮したお前からは悲しみを感じる」という一方的で物凄い断罪は、小山田さんを吊し上げた人々のそれとよく似ていると思いますが笑。僕のどこに、いかなる理由で両親が欠けているとお考えですか?SBeeさんのどこに、萎縮や悲しみを感じますか?ご説明いただかないと、「あなたの思った通りにならなかったから」としか思えません。いかなる文脈であれ、「あんたの萎縮した返信は悲しかったよ」というのは、ものすごく自己中心性と無神経さと、無責任さを感じますが。どうでしょうか?
<ファンの皆様、歓迎されないコメントお許しください。お叱りがあれば一通り拝読し、私は退会いたします。>
↑ ここは、僕が歓迎するコメントばかりを集める、教祖のサロンみたいなところではないです笑。「皆々様からのお叱りは一読し(「一読し」というのは、「熟読しない=まともに読まない」という意味ですよ笑。意味を理解して書いてますか?)」「拙者は退会申す」って、武家の忠義じゃないんだから笑。とにかく落ち着いてくださいよ笑。ここは自由に何書いてもいいし、退会するのは、黙ってしてくだされば良いです。皆さんもそうなさってますよ笑。あなたには「場にそぐわないことを言ってしまい、叱られたい」という欲求を感じます。それに引っ張られるというか。でも誰も叱らないですよきっと、「裸見たい」って言ってる人に、裸見せてるようなもんで、フェチのデコとボコが雲会うならいざ知らず笑。ってかとにかく、もう小山田さんの話はやめましょうよ。そんなことより、オリンピックの方が全然良いですよ笑。
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