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santafede33さん のコメント

暑そうな毎日ですね。
オリンピックの中継を見る度に、日本の、熱した、蒸された、あのまとわりつくような空気を思い出します。

以前、こちらのコメント欄に、「民はいつ蜂起するのか?」と聞いたときがありましたが、日本は日本のやり方で蜂起したように見受けられました。感覚が古いもので、議事堂やスタジアムに人々が集うこともあるのかと夢想しておりましたが、人々は顔を覆いながら、別のやりかたで集い糾弾したように見えました。

時代は変わりましたね。そして、変わっていきますね。
時代が大きくうねろうとしていく時に直面するのは、やはり慣れていないと戸惑うものだと思います。

(変形した)カトリックに覆われた、我々の大陸ですが、スターリニズムの影響を感じることは、まだまだ少なく、身体性と野生の勘がまだまだ蔓延っています。
日本で行われているオリンピックは、この娯楽の減った毎日の刺激に最適で、毎日釘付けです。ほぼ全種目を中継しており、また、相変わらずの日本びいきのラテンアメリカ諸国の解説、メダル争いに関わることも少ないが、しっかりと勉強はしてくる生真面目さから、中継中の雑談がおもしろいこと、この上ないです。スケボーの日本とブラジルの13歳の対決には痺れました。

こちらの大陸に暮らしているので、植民地や混血という概念は、水を飲んだり空気を吸ったりするのと同じ位相で日々感じます。ことあるごとに、それを感じますし、意外と500年という年月は長いようで短くも感じます。日本の場合は、近代の200年で断層が何度か生じているので、時間のスパンが少し短いですが、こちらでの断層はやはり500年前に設定されます。
最近では、あの500年前の出会いより前の姿を考えることが多くなりました。そこでのコードの違いは何だったのか、という。
詩人であり為政者でもあったネサワルコヨトルが語った言葉を思い返します。

私は滅びなければならないと、おまえ達は言う
種を蒔いた木々が滅びるのと同じように

私の名前は何も残ることなく
私の名声は誰も覚えることなく

だが、私の植えた森は、若く、そして育っていく

ラジオ面白かったです。こちらは涼しく過ごしやすいです。
No.9
40ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 阿部一二三は金メダルが確定した瞬間から一礼をしてインタビューブースに入るまでほとんど発汗しておらず、インタビューの途中から滝のような発汗が始まり、インタビュー内容が固いものからリラックスしたものにソフトランディングする辺りでバケツで水をかぶったかのような大量の発汗を始めた。    僕は性的には一番狭いヘテロセクシュアルだが、阿部のこの発汗のあり方には性的な興奮を覚えた。発汗フェチとかではない。卑近も甚だしい例で申し訳ないが、僕が壊死性リンパ結節園で臨死体験をした時、発熱が41度を超えると、肌がパサパサにまでなる。動脈(静脈ではない)に解熱剤を注射すると、1時間で36度になる。37度まではパサパサのままだ。36度になった瞬間、ベッドの上でバケツから水をかぶったかのような発汗があり、そのたび僕は失神した。また、性行為の中でオルガスムスの後まで汗腺が完全に閉じてしまう女性を何人か覚えている。彼女たちは皆オルガスムスの効果が激しく、しかし汗腺が閉じてしまうので、オルガスムスに向けて、肌がサラサラになる。絶頂を迎えた直後から、リラックスタイムに向けて水をかぶったように汗が噴き出す    この代謝システムに関して、僕は畏敬の念のようなものをもっている。命がけのことなのだ。命がけのことが終わったのだ。  
ビュロ菊だより
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