• このエントリーをはてなブックマークに追加

ゲストさん のコメント

菊池先生こんにちわ。先日からのジャズ音楽映画についてのラジオデイズと、今回のアフリカ音楽についての文章から、個人的に気になっていた事についてコメントすることにしました。

先日、デヴィッド・バーンのコンサート映画
、アメリカンユートピアを観ました。演奏とダンス共に凄まじいレベルだと感じましたが、ちょっと引っかかりました。そもそもトーキングヘッズがアフロビートを取り入れたバンド、という定説があると思いますが、トーキングヘッズでも、今回の映画の音楽でもポリリズム要素が感じられません(自分がわからないだけかもしれません。)
演奏としてはとてつもない完成度だったのですが、ポリリズム要素が感じられないことで
、もやっとした感情を抱いてしまいました。

ポリリズム要素がないアフロビート、という偏見があったのでトーキングヘッズ自体にも今まであまり興味を持った事がなかったのでただの不勉強かもしれませんし、そもそもアフリカ音楽についても、それほど詳しいわけではありません。

しかし菊池先生のお話を聞いていると、やはりポリリズムはアフリカ音楽の根幹なのかなぁ、という思いもあります。結局、デヴィッドバーンの音楽は日本のカレーやラーメンと言ったルーツから独立して存在しているものだと解釈しましたが、このことが文化盗用、搾取に当たるのかと、そういう考えも片隅に持つようにはなりました。
No.3
37ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 新倉タケオくんの演奏を初めて見たのは、もう遥か30年前、めぐろパーシモンホールに、ドゥドゥ・ニジャエローズ・パーカッションオーケストラを観に行った時だ。まだデートコースペンタゴンロイヤルガーデンも結成していなかったが、僕は現在のモダンポリリズムに繋がる、あらゆるアフリカの音楽を聴き狂っていて、アフリカ音楽の音構造を研究していた。    当時、ティポグラフィカがザッパ路線からアフリカ路線に大きく舵を切った時期で、今堀(恒雄)は今堀なりに、外山(明)は外山なりに、大儀見(元)は大儀見なりのやり方でアフリカ音楽を追求していた。外山と大儀見は、有名な、ドゥドゥのワークショップ(それはセネガルで、長期間にわたって行われる)に複数回参加していた。    僕と今堀は在宅派で、とにかく手に入るだけのアフリカ音楽を、片っぱしから聴いて分析していた。今では聴き切れないほどの音源が手に入る時代だが、当時は、1枚1枚が大変なお宝だった。  
ビュロ菊だより
「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。