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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>2

 タケオくんは結局、「プロ」というスキルとアティテュード水準にあるのはパーカッション(セネガル=ドゥドゥニジャエローズキャンプの形式)だけで、一部の自由な即興や二部冒頭の即興の舞は遊びなので笑、日記にある通り、ちょっと気をぬくと無邪気で自由な障害者の奔放な振る舞いに、プロの即興演奏家が「一緒にやりながら面倒見てる」という、形になります(それでも、障害者を子に持つ、お母様のグループなどは、目を細め、時に涙を流して喜びます)。なので、なるべく頑張ったんですが(常に3人で音は出してました笑)、タケオくんの面白いMCと、周囲は全く気にしない、自己完結したピアノや、我流のダンス(バレエみたいなやつ)に全て持ってゆかれた感じですかね笑。

 ワガンもホガも日本在住ですので外タレではないですが笑、まああれはセネガル音楽の観光客相手用の平均的水準です。六本木のアフリカンバーみたいなところにゴロゴロ転がってますよ笑。演奏は良かったですね笑。

 タケオくんが僕のカウベルに機嫌を悪くしたということはあり得ませんが笑、あれはタケオくんがセネガル語のコールアンドレスポンスをお客様に求めた(無理すぎ笑)のがスルーされたのと、単純にもうタケオくんとはいえど年齢的にキテるので(ダウン症の人々は加齢の速度が早いと言われています)、疲れたんだと思います。ハアハア言って目が死んでました笑。まあ、そうですね、5年もして、オファーがあったら、やらなくもないですね笑。
No.8
41ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 新倉タケオくんの演奏を初めて見たのは、もう遥か30年前、めぐろパーシモンホールに、ドゥドゥ・ニジャエローズ・パーカッションオーケストラを観に行った時だ。まだデートコースペンタゴンロイヤルガーデンも結成していなかったが、僕は現在のモダンポリリズムに繋がる、あらゆるアフリカの音楽を聴き狂っていて、アフリカ音楽の音構造を研究していた。    当時、ティポグラフィカがザッパ路線からアフリカ路線に大きく舵を切った時期で、今堀(恒雄)は今堀なりに、外山(明)は外山なりに、大儀見(元)は大儀見なりのやり方でアフリカ音楽を追求していた。外山と大儀見は、有名な、ドゥドゥのワークショップ(それはセネガルで、長期間にわたって行われる)に複数回参加していた。    僕と今堀は在宅派で、とにかく手に入るだけのアフリカ音楽を、片っぱしから聴いて分析していた。今では聴き切れないほどの音源が手に入る時代だが、当時は、1枚1枚が大変なお宝だった。  
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