• このエントリーをはてなブックマークに追加

santafede33さん のコメント

私見ですが、日本での新型コロナのインストールの不備に今回の問題の一端が表れているように思います。

常々、異なる文化と観衆の中で生活をしていて思うのですが、日本が求める「死の欲動」というものが、新型コロナの蔓延によってインストールすることも可能であったにも関わらず、それに失敗してしまったと見ております。そのための欲求不満感が蔓延しているのではないでしょうか。

日本には日本のアティテュードがあること、深く同意します。だが、自動販売機が破壊されないほどに安全を享受出来る社会を達成した、その達成感の裏に「勝ちたい(生きたい)と思っている自分と相手」「負けたい(死にたい)と思っている自分と相手」のバランスが崩れているところに問題の一端が見え隠れします。圧倒的な安全で人が簡単に死ぬことのできない社会というのは、安心よりも不安を呼んでいるかのように見えております。

人間というのは、複雑なものなので、たとえば非常に治安が良くない街での生活というのは、毎日への感謝と、様々なレヴェルでの欲望の発散、そしてそこから生じる浄化を感じます。今日も生きてる!サイコーな気分だぜ!ということです。諸々の菊地さんのコメントは、死に近づいたことがあることから発せられているということを特に感じます。
太陽サイコーは、本当にそうですね。こっちでは、明日の太陽、マジ昇って来いよと言いながら、毎日生け贄捧げまくってましたから。今も、あらゆる階層での生け贄があるので、古代の死生観の復権が蘇りつつあると思っております。時間はかかっておりますが、確実に蘇りつつあると感じます。

今回の新型コロナの発生により、日本にも「死」を再びインストールするような機会があったにも関わらず、持ち前の安全管理で、そのチャンスを潰したように見受けられます。危機的な状況をインストール(というか、自然発生も含まれますが、地理的にそういった状況にあることを選択している)することで、強靱さを発揮してきたにも関わらず、今回に関しては「死の欲動」への期待値と結果の乖離が生じているために、欲求不満が生じているように見えております。他国での惨状を横目で見ることは出来るのに、うちはなっいないじゃないか!という欲求不満にすら感じます。それが戦後であり、現在地が戦前であることへの証左とも思います。他国は、日本とは死の階層が違いますので、そこに委ねるようになれば、一言ヤバいとも思いますが、それが欲動であれば避けようがないですよね。

よく死ねる、というのは、よく生きれるということと同義であるということ。それが生活の隣に確立して存在しているのかということ、かと思いました。

音楽というものの本質がそうであるようにも思います。終わらない音楽がないというところ、サイコーだと思っております。

現在、ペルーのアマゾンのサイケクンビアを聞ききながら書いており、ゴキゲンです。最近は曇りが多い日々です。これから乾期に入るので、待ち遠しいですね。

勿論、日本が達成した安全というのは世界的にも非常に優れたものであるということは疑いようのないものということは付け加えておきます。
僕の友人は、コンビニまでビールを買いに行ったら、警官に拉致られて、そのまま拘置所に拘留。拘留の理由は、車上荒らしの容疑。ちなみに拉致ってきた警官が、近くにあった車のサイドミラーをたたき割って、その容疑が友人にかけられました。警官がミラーを叩き割って、その容疑が友人にかけられました。てめえ、何!ミラー叩き割ってんだ、と言いながら警官はミラーを叩き割ったとのことです。友人は抵抗したとの理由から、ボコボコ。保釈金に100万円近くの裏金を積み(弁護士もグルです)、友人の彼女が支払いました。ちなみに友人は米国籍を保持していたので、その後、米国に行ってしまいました。
友人の彼女は、たけービールになったと嘆いておりました。

Ay,mi morenita bonita!
No.15
37ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 今から、前回に引き続き、ジュース類の自動販売機の話をする。この間、「コミケは最高のジャパンクールであり、原義に忠実に、世界で最良のファシズムだと思う。もしヤンキーと手を組んだとしたら、だが、我が国最大のカルチャー与党が形成できる」と書いたばかりで、ついこないだ、ドスモノス の荘子君とマイメン谷王と鼎談をし、その可能性について「アフロディズニー」を叩き台に、語り合ったばかりなのだが、夏は実に危険な季節で、また次の問題提起があった。流石にフジの時のように慣れぬ検索までしなかったが、今は「想像できる発言は、すべて発言されている」世の中なので、議論のクラウドがどうなっているかは想像に難くない。飽和だ。   「 NAMIMONOGATARI 」は、今やきちんと内部でのジャンル分けができている(ほど豊かな) J ーヒップホップ界の中でも、どっちかつうと G ラップ寄りのフェスとして、まず名称が完璧だし(「パチン
ビュロ菊だより
「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。