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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>28

 僕は投薬が悪いとは思いませんが、「親と宗教を離れると自由がキツイ」というのは、あらゆる人々に聞かせるべき言葉だと思います。街が無条件で母性に満ちて、滋養をみなぎらせているという様なユートピアは僕も否定しますが(交流断絶的な社会において、街の他者もまた、交流を断絶しているので)、「ちょっと頑張ればできる事」をあらかじめ放棄してしまうのは、あらゆる局面でもったいないですよね。

No.32
39ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 今、スタジオでセイゲン・オノ氏の「 COMME DE GARCONS ( SACD 2枚組)」を聞いている。来週の対談イベントは、僕からではなく、なぜかオノ氏からオファー賜ったものだが、この CD に収められている、オノ氏と川久保玲による、モードと音楽のペアリングは、少なくとも我が国のモード界においては、これを超える事は起こっていないと僕は思う。僕も死ぬまでにいつか残しておきたい仕事の一つだ(もう、モード批評はやっていないので、いつでもショー音楽のオファーは受け入れ態勢でいるが、今の所どのラベルからもオファーがない)。    録音は87年と88年の2年間に行われており、一時期は(キップハンラハン等と同じく)悪友、ぐらいの関係でいたジョン(ゾーン)のサックス、 DC/PRG のインパルス盤に参加してくれ、いつでもペペトルメントアスカラールに入りたいと言ってくれたアート(リンゼイ)のギター、以下、ビルフリーゼルや、ラウンジリザーズやマテリアルのメンバー達、つまり、「あの時代のニューヨークシーン」の英雄達の演奏である。ジョンからは、奏法よりも (僕とジョンのノイズの出し方と、ノイズ以外の楽音とのスイッチングは、僕のそれとは全然違う。シンプルに言ってションは、サキソフォンとジャズを素材だと思っているが、僕はサキソフォンとジャズを愛している)病的な加速と混血性(特にアフリカでも中米でもなく、端的にブラジリアン)への体質的な執着がありーそれは当時のニューヨークでなければ生じ得ない一種のローカリティと時代性を嫌という程纏っている)。  
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