菊地成孔さん のコメント
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シン・大阪に向かうシン・幹線のシン・指定席でシン・犯人を探すべくこれを書いている。捜査のため、敢えてシン・横浜から乗り込んだ。これこそがシン・菊地成孔ならぬシン・松本清張の「シン・点と線」ともいうべき、、、、、ヤメた(「シン・点と線」は然るべき作家によって書かれるべきだと思うが)。
月に一度、小田急線に乗るのだが(その都度、自動券売機との決闘を行い、コロナ禍に於いてはほぼ無敗だけれども)、多くの方がご存知の通り、新宿駅の中で小田急線に乗るのはイージーだが、あらゆる駅で、新幹線に乗るのは比較的困難で、勢い駅内を色々移動するわけだが、新横浜の駅というものがこんなに、昭和の男にとって味わい深いものだとは知らなかった。木製の階段があるだけでうっとりする。一瞬。
指定席に着席し、明日、ビルボードで演奏するので、そのことについて書こうとしたのだが、先日、テレにをつけっぱなしにしていたら、その日は「笑いの日」だったらしく、「いつからそんな日が制定されたの」と発声しながら見ていたら、一日かけてお笑い番組をやり続けていて、我ながら驚くべきことに、メインイヴェントである「キング・オヴ・コント2021」までしっかり全部見てしまった。第一の感想は、<もうこの1年はお笑い番組はみなくて良い(「テレビ千鳥」以外)>。
以前どこかで書いたか話したかしましたが、批評や分析は、相手を殺す劔ではなく、相手を活かす劔なので、僕の劔は僕を普段で刺しまくり、活かされまくっています。
村田は井上を超える話手(分析を著述化してないので)ですが、トップランカーだけではなくトップアスリートは、ご指摘の通り、「勝つために黙っているだけ」で、「分析力がある」とか「ない」とか言う以前に、分析力がないとできない仕事だと思います。音楽家の方がはるかに無邪気で、自分がどんなコード弾いてるのかわかってない苦とも、グラミーも、世界配信数トップもとれます。
相談したいような気がするが、それがなんだかわからない。というとき、多くは、ですが、僕に対する攻撃性が生じてしまっている状態なので、自然に攻撃性が昇華するか、相談ではなく、攻撃そのものを僕にしてしまうかすれば、「何が相談したいか」わかると思いますよ。
音楽は勝ち負けを争えないですから(ラップバトルみたいなのは、スポーツにおける勝ち負けのパロディみたいなものなんで)、遠いし、近いとも言えますが、僕が知る限り、全ての音楽家は批評家であり、分析家です。そのことが苦しい音楽家はいないですし、僕も全く苦しくありません(活かす劔なので)、音楽家の苦しみは、もっと全然別にあります。
全員が批評家であり、分析家である音楽家の中で、僕は敢えてそれを体系的、教育的にまとめただけです。実演をやらず、分析と批評だけしている音楽家は苦しいかもしれないですね(分析力に苦しめられているのではなくて、実演がないことで)。
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