菊地成孔さん のコメント
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何か全てが遠い過去のようだ。僕は神田沙也加氏とスパンクハッピーをやろうとして動いたことがある。まだマネージャーが長沼ですらなかった頃だ
全てがもう時効という感じがするので、そして今、夜明けの一番日差しの強い時間なので、とても自然に書いてしまうけれども、僕は1998年に大病して入院し、退院したら原みどりさんがスパンクハッピーを辞めて(河野伸君はその前に辞めていた)、1人になってしまった。
以下、初めて書くことが続くが、僕はファーストスパンクハッピーと全く別に、セカンドスパンクハッピーの構想を練っていて、最初はポップな作曲のパンクバンドだった。角川春樹さんの娘さんはケイティと言って、当時、ケイティ&ダイナマイツというバンドも解散し、行方が分からなかった(ダイナマイツの「ワイルドルビー」は本当の名曲だと思う。「フロイドと夜桜」は、この曲と hitomi の「サムライドライヴ」とバグルズの「ラジオスターの悲劇」を足して、トニックディミニッシュを2小節目に入れた世界で唯一のロックナンバーである)。「ケイティとバンドをやったら死んじゃうかもな。自分かケイティが」と思っていた。
精神医療に関しては、僕が非常に恵まれていただけで、俯瞰すれば事故だらけです。僕は「上手で優しくて=人気の先生」という存在自体が、臨床心理士(いわゆるカウンセラー)としては難しいな、諸刃の刃だ。とは思っています。40超えでメンタルやられた事がないのは知性と音楽を享受する能力のバランスが良いという事だと思いますので、昭和の老人のように「風邪ひとつ引いた事ない」みたいな感じで、誇って良い事だと思いますよ。
神田さんについては、すべておっしゃる通りです。岩澤さんという別格の存在と1ターンやった後でしたので、僕が神田さんで想起したのは、今では当たり前な、ヘルシーさとエロティークの完璧な合一で(まあ、例に挙げたアリアナも病んでいますが、それは大きすぎるフェイムとサクセスによるところが大分を占めていたでしょう)、こんなことを言ったら個人に対する失礼に当たるかもしれませんが、その構造で音楽体験をしたら、神田さんの内部にあるものが、少しは落ち着いたんじゃないかな?と、思っていましたし、彼女が母源(としか考えられない)複合体の中で、愛を顔相や姿形に求めたり、少女性を凍結させたままなくなった事で、「思っていた」が「思い続けている」に移動したことを感じています。
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