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softcoreさん のコメント

40を超えてアラフォーとも言えない年齢になったのに、未だに心療内科・神経科の通院歴がないのは現代社会人としていかがなものだろう? と考える頻度が増えています。
菊地さんを(大いに)含む好きな音楽やテキストやラジオが身近にあった事は小さくないと思いますが。

どんなに有能なメンタルカウンセラーがついていても防げない事もあるのは、海外タレントのケースで例示できますが、神田さんもそういったアクセスは持っていたと想像するので、本当に難しいモノだな、と思います。

今回で一つだけ分かった(気になっている)のは、話題なってしまった男性と元夫と音楽ユニットの元パートナーの顔のタイプがかなり近い事でした。

シンガーとしてファンでした。ご指摘の通りコントロール過多な点を気に入っていました。J-POPでもアニメのキャラクターソングでもミュージカルでも、それぞれのど真ん中の歌い方を使える事に驚いていました。
成熟した(=エロい)ブラックミュージックを聞いてみたかったです。結果的に少女性を失わない形で凍結しましたね。
No.9
36ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 何か全てが遠い過去のようだ。僕は神田沙也加氏とスパンクハッピーをやろうとして動いたことがある。まだマネージャーが長沼ですらなかった頃だ    全てがもう時効という感じがするので、そして今、夜明けの一番日差しの強い時間なので、とても自然に書いてしまうけれども、僕は1998年に大病して入院し、退院したら原みどりさんがスパンクハッピーを辞めて(河野伸君はその前に辞めていた)、1人になってしまった。    以下、初めて書くことが続くが、僕はファーストスパンクハッピーと全く別に、セカンドスパンクハッピーの構想を練っていて、最初はポップな作曲のパンクバンドだった。角川春樹さんの娘さんはケイティと言って、当時、ケイティ&ダイナマイツというバンドも解散し、行方が分からなかった(ダイナマイツの「ワイルドルビー」は本当の名曲だと思う。「フロイドと夜桜」は、この曲と hitomi の「サムライドライヴ」とバグルズの「ラジオスターの悲劇」を足して、トニックディミニッシュを2小節目に入れた世界で唯一のロックナンバーである)。「ケイティとバンドをやったら死んじゃうかもな。自分かケイティが」と思っていた。  
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