菊地成孔さん のコメント
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Q/N/K 、オーニソロジー、「ラディカルな意志のスタイルズ」「新音楽制作工房」が同時進行してるうちに、コロナで長期休講だったペン大が授業を再開し、ドキュメンタリー映画の音楽も1本やることになった。頭の中が音楽でいっぱいだ。ずっと鳴り続けている。オーニソロジーの曲を歌っている間に、シームレスに QN との曲になったり、ラディカルな意志のスタイルズの個人練習をしていると、シームレスに新音楽のビートに乗ってたいたりする。これだけ音楽が好きな僕が、自分の音楽だけで頭がいっぱいになるという事態だけでも、緊急事態宣言である。以下、脳内が音楽でパンパンの緊事宣のまま書く。
コロナによって何の仕事もない時があって、スケジュール帳が真っ白だったが、あの時はあの時で楽しかったし、充実していた。どうせ統制時代なんていつか終わりは来るのだし、望外のバカンスだったと言えるだろう。金なんかなくたってどうにでもなる。毎日コンビニ飯食って東宝映画を見てゴロゴロしたり、運動したり、自炊したり、音楽を聴いて痺れたりしていた。僕はワーカホリックではあるが、仕事が無いと怖くなるとか体調を崩すとかいうことは全く無いとわかった季節だった。
今は今で絶好調だが、一番困っているのは、運動する時間がなく、物凄く食うので、ブクブク太ってしまっていることで、体調の方が若干ダウンしてる(病気しているとかでは無いですよ)こういう時に備えて買ったつもりのユニクロのスエットがきつくなってしまった。ストレッチは練習の合間にできるが、筋トレには時間がかかる。どうやって習慣化のグルーヴに乗り込めば良いのか?
などと書くと「潰れた飲食店の人々のことを考えたことがあるのか?」「医療の最前線で頑張っている人々のことを考えたことがあるのか?」とか言う正義の人々が、まだ現れるのかもしれない。お前の1000倍考えてるわ笑。つうか遥かそれ以前に聞くけど、じゃあ誰かオレのことを考えたことがあるのか?笑、<オレのことを考えてくれるのであれば、他人様のことも考えてやっても良い>これが真のフェアトレードというものであろう。自分のことを知りもしない人について、真剣に考えるのは慈善家、あるいは慈善家の気分に手軽になっているやつのすることだ。
わかりずらくてスミマセン笑、ご覧いただければたちどころにご理解頂けると思いますので笑、東宝DVDコンテンツ部に代わりまして感謝いたします笑。
マジックリアリズムは、昔日の「エキゾチズム」と似て、観る側の視点の中にだけ存在しますよね。エキゾが古式ゆかしくなってしまったので(誰でも世界中に行けるようになったので)、マジックリアリズムと呼び換えているように思えます。ガボもリョサも「そのまま」を書いたのだと思いますし、タンザニア人が日本のアニメを観るとき、おそらく感じているのはファンタジーよりもマジックリアリズムに近ような気がします。
僕の音楽は、ご説の通り、非常に遠い場所にあります。それが人間と音楽との距離だと僕は自然に思っているのですが、自然だと思うと同時に、果てしないほどの距離感も実感してるので、それが僕固有のものなのかどうかは僕にはわかりませんが、ブルーノート東京でのぺぺのライブ動画に付いた、スペイン語のコメントを、拙訳してみました(意訳に近いと思われます)。
<東洋の人々が西洋音楽を前衛的であると解釈し、作曲、演奏する方法の幅広さは信じられないほどです。たとえば、ヒロメ市場のそれのように、西洋人は東洋音楽を吸収するのがはるかに難しいと感じています。少なくとも私はその認識を持っています>
僕の尊敬する呉智英の本にも、投獄中にロシア語を(読書や映画鑑賞などを介さず=投獄者なので)完全に習得する男の話が書かれてます。呉智英は「恐るべきことに、それは妄想のロシア語ではなく、現実のロシア語なのだった」とし、言語と妄想の関係を考察しています。なんでロシア語なんでしょうね。僕は極めて稚拙なドイツ語と韓国語を、ほとんど学ばずに東京で習得し、ほぼ完全に忘却しました。そしてそれは、とても自然な経験でした。
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