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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>6

 いやいやいや笑、馳先生は僕もファンだった80年代の象徴の1人、高見恭子さんをポテンツで「夫唱婦随の妻」に改造した、プロレスラーのポテンツ最高値として圧倒されているだけで笑、陰性感情は自我の根っこまで掘り起こしても(本人んは掘り起こせないんですが笑)全くないです。
 
 この時の馳先生のお立場も、よくある、「なんかの組織が立ち上げる時に、ペンダント=飾りもんとして(その地域の=JEAは石川県で発足したので)議員が呼ばれる」というお立場に過ぎず、ご挨拶も完全マニュアル演説の典型に過ぎず(一生懸命ジャズを褒めようとして、「シカゴ」と「スイングガールズ」に感動した。と仰ってました笑)、要するに、職務を全うされたと笑、馳先生のお仕事は全部そうですが。

 それよりもこの日僕は完全にヒートしていて笑、「セッション」の批判に書いてあるので繰り返しませんが、JEA本部の大表(白人、ミュージシャンではない)が、「ジャズは今や、子供に聞かせられない、悪の音楽ではなくなった。黒人によって(はっきりこう言いました)麻薬や破滅のイメージが付いたジャズ音楽は、アメリカでも洗浄されています」とかなんとか言ったんで、僕に英語の能力があったら「誰のせいで黒人が麻薬やったんだと思ってるんだアメリカ人笑、因みにビル・エヴァンスもチェット・ベイカーも白人だぞ代表笑」と野次りたかったんですが、ヒートし過ぎて笑、普段装備してる英語力までも吹っ飛んでしまい笑、奴の演説中にずっと、中指を立て続けていたら、係りの人に取り押さえられたに留まりました笑。今にして思い出すに、あいつはヤっちゃって良かったと思います(ビール瓶とかいっぱいあったし)笑。逮捕されたと思いますが笑。

 瀬川先生の演説は、もう本当に、牧歌的で可愛いもので笑、日記中にある通り、「喰ってかかった」と言っても、ギャグで場を和ませよう、特に自分の荒ぶる気持ちを笑。と思っただけです。参加者は全員、宿泊の予定だったんですが、僕は瀬川先生とのやり取りの後にハイボール1杯だけ飲んで、途中で会場を後にし、一人で空港に向かい、最終便で東京に帰ってきました笑。瀬川先生にはこの件を謝罪したことはないです。山下にはしましたが(山下が僕を誘ったので笑)。

 僕も全く同じことを思っていました。戦争だけでなく、国家的反復は、生き証人が耐えたらスタートボタンが表示されると思っています。僕の両親はクソ長生きだったんで笑、僕の中で戦争の生き証人が完全に耐えたのはずっと後ですが。


 

 

 
No.9
32ヶ月前
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 おっさんが脚を引きずりながらせっせと仕事をしている哀感と言ったら。せめて「マルサの女」の山崎努のように、ダンディでスタイリッシュに。無理無理無理。    葬式なので、黒の革靴を履いて立っていたら、全身が筋肉痛になってしまいそうだった。ダンディなのは故人に決まっているじゃないか。僕が知る、日本一の伊達男。    最初の弔辞が始まった。「もしこう呼ぶ事が許されるなら<先輩>と呼ばせてください」といって、見事な弔辞が始まり、見事に終わった。しかし、驚かされたのは、テキストの完成度ではない。あの大蓮實が、あの有名な、低く冷静な蓮實ヴォイスではなく、少し高めの、透明で子供のような音色を発し続けたことだ。列は長く、元老の姿は遥か先で見えない。本人も気がついていないだろう。それが意図せず、軍国少年の覇気に似ていたことに。    ニューオーリンズジャズが葬列用の音楽であり、往路は悲しく、復路は陽気で楽しいものであることを知らぬ人は少ないだろう。しかし、荘厳とさえ言えるほどの寺院で、読経の代わりにニューオーリンズジャズの生バンドの演奏で故人を送りましょう。そんな気障な事が許され、しかも完璧に決まるのは故人しかいない。瀬川先生、先生が生涯憂慮なさっていた、日本の再軍国化が完成する前に逝かれて、僕は、ほんのちょっとだけ、安堵しています。  
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