菊地成孔さん のコメント
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僕のような SNS やらない派でないと、その存在のリアルさが伝わりずらいだろうが、僕には SNS タレコミ屋の友人がいて、そいつは僕が嫌がりそうなことが SNS にあると大喜びで電話してくる。友人であるが故の、程度をわきまえた愛のある嫌がらせであり、彼は例えば、町山さんとの騒動に関しては黙殺していたが、ニヤニヤ笑いながら報告できる件に関しては垂涎というに過言ではない態度で電話を鳴らす。それ以外の働きをしない。
「ナルちゃーん。子供の頃の原稿が晒されちゃってるよーん W 。バズってますよー。バズって W 。くひひひひひひひ」と、大喜びで言ってきたので「なんだよそれー怖いわー。子供の頃ってなんだよ身に覚えないよー。今更バズりたくなんかないよー。バズ・ラーマンじゃあるまいしよお」と言うが早いか電話を切ってしまった。
まあ、デマの類だろうと思っていたら、別の友人にも(これは普通に音楽家の友人)、「菊地さん、子供の頃の投書が残ってたみたいですよ。読みましたが、あれすごいですね。何なんですかアレ」と言われ、それでもまだ僕は「ええええええええええ?なにそれ身に覚えないよ。イタズラでしょう」とタカをくくっていた。
そうしたら翌日、当コメント欄常連の softcore さんから以下のようなメールが届いた。
<菊地さん こんばんは 日記では softcore としてコメント書き込みをしている○○です。
既に同様のタレコミメールが入っていそうですが過去の菊地さんのテキストがツイッターで発掘されました。
数万人のフォロワーを持つ八谷和彦さんが RT しているのでまだ広まりそうです。
< 該当ツイート >
1975 年のタミヤ模型の広報誌に、おそらく菊地さんの投稿であろう
テキストが掲載されています。覚えていますでしょうか? (後略)>
一読し、「うっわー!アレか!!」と、すぐに思い立った(自分も立ち上がった)。ファンの方なら察しがつくと思うが、もちろん現物はとっくに手元にない。この辺りまでは会員以外にも読めるエリアだと思うので、早いうちに結論を書くが、八谷和彦さんには面識も知己もないけれども、大変嬉しく、甘酸っぱく思うと共に、現物をよこせとは言わないが、 Twitter にアップされた写真だけでなく、掲載号全ページの写真が欲しい(懐かしすぎるので)。
まあ、ほとんどがドイツ軍だったわけですよね。さすがに12〜3歳の記憶なんでユルユルですが、そのこと(ナチスの軍用デザインが優れていることを傍証)にもガチの憂慮がチラホラありました。日本軍もソ連軍も(また、タミヤはジオラマ用に兵士フィギュアも盛んに出してましたので、英国兵やソ連兵、日本兵も)、そのことへの言い訳程度に、1機づつとか、そういう出し方だった記憶があります。
「パチッ特集号(←この、ジオラマ写真コンテストの宣伝誌名も曖昧なんですが笑)」は、こうして当然のごとく、欧州戦線での激戦地や、そこから離れた場所でのほのぼのとした風景など、どっちにしても(かなり広く)欧州を舞台にしたもので溢れました(せざるを得なかったというか。ドイツ軍の兵器ばっかりなので)。なので、1回、太平洋戦争の南方を模したものが入選した時のショックはプラモしょうねんた達には大きかったと思います。
そのうちタミヤは、あらんことか、ジオラマをディスカヴァージャパン方面に振って、兵器の新作を止め、歌舞伎の舞台装置みたいな「峠の茶屋」とか「森」とか「旅人」とか「籠と籠かき」みたいなシリーズを始めて、その頃には僕も卒業していた記憶があリます。
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