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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>23

 っつうか、Twitterの言う「文章力」と言うものの理解がロリコン化しているとは思います(僕のこの件だけでなく)。「あの文章がすごい」となるのは、一つはロリコン化、一つは、どなたもが「12歳の頃は、今の自分と違って、上手に自己表現できてなかった」という、まあまあ致し方ない先入観から来てると思います。

 ここでキーになるのは「文章力」に、能力着眼が過度に集中している。とうことで、これはいうまでもなく、SNSが「文章入力ツール」である側面が大きいから。だと思います。12歳の時に興奮したものに、まだ興奮したとしたら、その人は12歳から変わっていません。ここまで大衆が「文章力」を競う時代が来るとは思ってもいませんでした、、、、ウソ、インターネットができた時から予想はしていましたが、SNSが拍車をかけていると思います。

 表向きは「りぼん」というのは、年配の方のレアな声ですね。ぼくんちはとにかくジャンプとオール讀物でした。自分の家に「諸君」とか「女性セブン」がマウントされていたらだいぶ違ったでしょう。僕は少女漫画が、本当にガチの空白なので、りぼんとなかよしと(パタリロ!で有名な後続誌も含め)、「ソッチに育まれた人」の話が面白くてしょうがないです。リアリティゼロなんで笑


 
No.26
30ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 僕のような SNS やらない派でないと、その存在のリアルさが伝わりずらいだろうが、僕には SNS タレコミ屋の友人がいて、そいつは僕が嫌がりそうなことが SNS にあると大喜びで電話してくる。友人であるが故の、程度をわきまえた愛のある嫌がらせであり、彼は例えば、町山さんとの騒動に関しては黙殺していたが、ニヤニヤ笑いながら報告できる件に関しては垂涎というに過言ではない態度で電話を鳴らす。それ以外の働きをしない。    「ナルちゃーん。子供の頃の原稿が晒されちゃってるよーん W 。バズってますよー。バズって W 。くひひひひひひひ」と、大喜びで言ってきたので「なんだよそれー怖いわー。子供の頃ってなんだよ身に覚えないよー。今更バズりたくなんかないよー。バズ・ラーマンじゃあるまいしよお」と言うが早いか電話を切ってしまった。    まあ、デマの類だろうと思っていたら、別の友人にも(これは普通に音楽家の友人)、「菊地さん、子供の頃の投書が残ってたみたいですよ。読みましたが、あれすごいですね。何なんですかアレ」と言われ、それでもまだ僕は「ええええええええええ?なにそれ身に覚えないよ。イタズラでしょう」とタカをくくっていた。    そうしたら翌日、当コメント欄常連の softcore さんから以下のようなメールが届いた。     <菊地さん こんばんは 日記では softcore としてコメント書き込みをしている○○です。   既に同様のタレコミメールが入っていそうですが過去の菊地さんのテキストがツイッターで発掘されました。 数万人のフォロワーを持つ八谷和彦さんが RT しているのでまだ広まりそうです。   < 該当ツイート >   1975 年のタミヤ模型の広報誌に、おそらく菊地さんの投稿であろう テキストが掲載されています。覚えていますでしょうか? (後略)>    一読し、「うっわー!アレか!!」と、すぐに思い立った(自分も立ち上がった)。ファンの方なら察しがつくと思うが、もちろん現物はとっくに手元にない。この辺りまでは会員以外にも読めるエリアだと思うので、早いうちに結論を書くが、八谷和彦さんには面識も知己もないけれども、大変嬉しく、甘酸っぱく思うと共に、現物をよこせとは言わないが、 Twitter にアップされた写真だけでなく、掲載号全ページの写真が欲しい(懐かしすぎるので)。  
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