• このエントリーをはてなブックマークに追加

santafede33さん のコメント

久々に長い間日本に戻っていて感じたのは、まぎれもなく濃く蔓延る死の匂いでした。
最近当国で見た、二本の邦画から、なんでこんなに死が匂うのか不思議に思っていましたが、日本に戻って納得しました。
そこら中に、匂いが充満していて驚きました。空港に何度か足を運ぶ機会があったのですが、そこにいた外国籍の方々の、憔悴仕切った顔を見て、それも愕然としました。ここまで憔悴するのか、と。コロナ禍以降、祖国では全体として、現在、様々なレヴェルでの移民が減っているので、日本人が日本人単体でグルーヴを作っていると思うのですが、外国の方々は憔悴仕切っているように見受けられました。なにせ数が圧倒的に少なくなってしまったので。列に割り込まれることで、日本にも別のグルーヴを導入していたはずが、いつの間にか単体のグルーヴとなり、単一化が進んでいるようでした。
仕事関連で、スペイン籍で日本在住の方(白人・女性)と話す機会があったのですが、日本が恐ろしいと何度か口にしました。旅行するには良いところ、住むとなると恐ろしい、と。

何がそんなに怖いんですか?
何を言ったらいけないか、分からないし。
言っちゃいけないことがあると?
だって、抱きしめたら驚くでしょ?
確かに笑

彼女もまた憔悴しきってました。

町中華でやろうぜは、フェイバリットで良く拝見しています。あの番組は、玉ちゃんと女性タレントの方の二部構成になっていて、正続のつなぎになっていると思います。そこで、僕が見ているのは(暇なので、両方見ます)、若者たちの恐れと怯えです。それはいつの時代にもあったのかもしれませんが、玉ちゃん回を見てから、女性回を見るのですが、そこに映し出される、コミュニケーション不全です。そのコミュニケーションの不全感は、上記のスペイン女性が語っていたものに近いものを感じます。
死のドミナントモーションがそこには働いていて、玉ちゃんが解決、という美しい流れが生まれています。そういう意味で、僕は、あの番組は、正続正続正……が連綿と続いている円環状のものとして捉えています。終わらない運動としての町中華でやろうぜ。死の欲動(コミュニケーションの不能感と全能感)を発揮することで、運動させていると感じます。不勉強ながら存じ上げなかったのですが、今度帰国した際には、玉ちゃんの著書は是非手に入れたいと思います。(今回は、オススメ頂いた川島雄三作品と、現代思想のラテンアメリカとプロレス界、メキシコ征服記(当国では絶版!)を手に入れました)

自死を特別扱いせず、見つめるというのは、確かにその通りかと思います。日本と当国は、自殺/他殺、米国と国境を挟んで向かい合っているという点で共鳴していますので、今回の書かれた内容よく分かります。
こちらでは、涙目の天使は、他殺で死にます。もちろん、一人で。
僕らに出来ることは、音楽をかけ、太鼓を叩き、踊ることです。菊地さんのサバールがどのように打たれるのか、楽しみに待っております。

故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
No.14
30ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 心の喪(の作業)は終わっていない、一生終わらないかもしれない。なので、儀式としての喪の作業をすべく、近所のホテル(ここのラウンジで、太田プロの芸人の方々が打ち合わせやインタビューをしている所に遭遇したことはない。もちろん、上島竜兵氏も含む)でカフェオレを飲み、南昌飯店でラーメンと餃子と酢豚と炒飯を食い、レモンサワー(中身は佐藤<黒>)を4杯飲んでそのまま寝た。    ファンの方ならご存知の通り、僕は焼酎は飲まない。ので、初めてのドラッグのように物凄く効いて、内心で我ながら「泥酔」という状態に近いなコレは)と思いながら1分以内で帰宅した。    壮年になると(過去「熟年」という言葉があり、僕は特に好きでも嫌いでもなかったが、東京医大の偉い医者かなんかが作ったあれを大いに気に入り、推奨したのが森繁久彌である)、飲酒の勢いで寝ると、妻子がいるか、独居かに関わらず、死亡リスクが高まる。    「妻子や友人(やペット)がいれば(孤独ではない?から?)自死は免れやすい」という戯言を信じている日本人も、もう少ないはずだが、泥酔からそのまま寝ることのリスクも全く同様であろう。「孤独死」を、極端に恐れるのは一種の症状である。友人知人に囲まれても、死ぬときは1人だ。    僕はおそらく、生まれて初めて泥酔した勢いでそのまま寝た。今までは、どれだけ飲んでも、部屋に帰ったら水を大量に飲んで、完全に酔いが覚めたからでないと寝なかった。吐瀉逆流による、求めない窒息死が怖いから、とかではない。1 cc でも吐き戻したら、どうわー!とか言って笑いながら飛び起きる自信があるし、そもそも泥酔によって吐いたこともないし、吐き気を催したことすらない(理由はーーまたしてもーーフロイド的に明確であろう)。    それより、泥酔者独特の蛮行で、間違って物を壊してしまったり(部屋が楽譜と CD と楽器の山なので、何を破損するかわかったもんじゃない)、転んでどこかを打ったり捻ったりするのを避けるため(それでもとうとう、人間ドックで何も出なく、喜びに片手を天に突き上げた瞬間に靭帯損傷するのだから、もう、いつ転んでもおかしくないが)もあるし、何よりも酒が抜けてゆくのは、酒が回ってゆくのと同じ快楽があるからである。夜が明けるのに似ているし、実際、その最中には、多く、夜が明けた。    今、目覚めたら5時間経っていた。導入剤よりも遥かによく効く。というか、シンプルに恐るべき爽やかさがあり、頭の回転が早くなっていて驚いた。部屋は(買った覚えも飲んだ覚えもないミネラルウォーターのペットボトルの空き瓶が3本転がっていたこと以外)全く荒れておらず、寝巻きに着替えて布団も普通にかけていた。昨日はオーニソロジーのレコーディングで、50枚を超える楽譜が使用されたが、それもきちんと整えて机の上にあった。夜は明けていた。雨が降って空は暗い。端的に言って、美しい。  
ビュロ菊だより
「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。