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こうちゃんさん のコメント

ラジカルは、不安定な構造? イオンは不動産屋だけど、逆に上物がフリーに動ける、地があって菊が咲いてセイコーセイコーΩ真理教、麻原さんには前の羽田で会って、チェアの上に座禅してたけど、空中に上がって無かった、ショーコーの師匠は談志だって、師匠が言ってたけど、成瀬さんは空中に上がるらしいけど、年始は、バスで東京に行こうして、その前にRRR観てたら具合悪くなって、車中9時間への恐れか、朝から母と色々話が矜羯羅がって、要するに、口の上にトを建てられないって言うけど、占でも、分からない現実という劇場の真実という劇薬、不安や計算、確率論とか、デフォルトスワップとか、想像とか、創造以上の崩壊とか、パラレルワールド、ワンダフルワールド、ワイルド『ドリフトターン』スピード、liveLife rabというスタイルだらけ、すれ違うような、ファ-スト-シムズで進みたいような、認識、瞑想、シンクロニシティ、自死、ボンソワー、セッションとかリセッション、視線も合わさず、踏み越えて、どんどこどんどこ、行こうよ!シベリア?サイゼリヤ!
No.11
24ヶ月前
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 今年のクリスマスの夜、僕と山下洋輔は、ステージで一言も言葉を交わさなかったし、目線さえ一度も合わせなかった。その方が音がよく聞こえるからだ。そして今年のクリスマスイヴの夜は、いつものように大友とリミッターを外し(彼は自分からは決して外さないので、僕が外すのを毎年待っている)、大いに語り合った。しかし、演奏が始まれば、言葉も視線も交わさなくなってしまう。    大友良英とも山下洋輔とも、実の所したことは同じだ。それは調性という堅牢な社会と、無調という危険極まりないゾーンとを往復することで、要するにボーダーラインを跨ぎ続ける。小学生の頃に、休み時間女子がスカートをたごめてゴム跳びに興じていた。あのステップが音楽には必要だ。ある意味、ボクシングのフットワークと同等に。    ゴム跳びもボクシングもそうなのだが、開始し、ゲームに参加したら抜けられない(休憩はある)スキルは個人的に成長したり停滞したり、落ちたりするものだが、「1年ぶりに会った。その、今日のスキル」は、ゲームが始まらないとわからない。  
ビュロ菊だより
「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。