今年のクリスマスの夜、僕と山下洋輔は、ステージで一言も言葉を交わさなかったし、目線さえ一度も合わせなかった。その方が音がよく聞こえるからだ。そして今年のクリスマスイヴの夜は、いつものように大友とリミッターを外し(彼は自分からは決して外さないので、僕が外すのを毎年待っている)、大いに語り合った。しかし、演奏が始まれば、言葉も視線も交わさなくなってしまう。

 

 大友良英とも山下洋輔とも、実の所したことは同じだ。それは調性という堅牢な社会と、無調という危険極まりないゾーンとを往復することで、要するにボーダーラインを跨ぎ続ける。小学生の頃に、休み時間女子がスカートをたごめてゴム跳びに興じていた。あのステップが音楽には必要だ。ある意味、ボクシングのフットワークと同等に。

 

 ゴム跳びもボクシングもそうなのだが、開始し、ゲームに参加したら抜けられない(休憩はある)スキルは個人的に成長したり停滞したり、落ちたりするものだが、「1年ぶりに会った。その、今日のスキル」は、ゲームが始まらないとわからない。