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ゲストさん のコメント

>>25
そんな理由があったんですね、

ここ何年かで、 私のミーハー心ゆえに 私に
毎年いつも付き合わされている先輩の、 鬼王 詣で。(大晦日は新宿 HUB格闘技 から テルマー湯 起きて 早朝 鬼王神社) の先輩が 何気なく言った 「今年は寂しいね」  もっといろいろ あったじゃん? 説明書きとかさ、 丁寧なやつ。

と言う一言で 私もそう言えば、ずいぶん、そうですね、と思いました。

そんな彼が いつもは詣でない 入って中間の位置からの左手の ささやかな参道?でも わざわざ手を合わせていたのが印象的でした。

1年にほぼ一度ですが、 テルマー湯から鬼王神社まで行く道中は おもしろいっす。

最上階を、眺めながらのクルーズ、
初日に 立て込まれた 話、  クリーニング屋最終日、 とか。 

育てのお母様のハナシ、最高でした。

(ガキの頃に、ネコかわいがりされた おばあさんの姉、
が私にもいた のですが、 くっさくて、嫌いでしたが、 忘れた頃に 急に夢に出てきて
 夕方 遠方から電話があり 今日 最後と。


不思議と、リアルな菊地さんのカラフルな文章には 励まされます。

醤油を飲んで 帰ってきて下さい。

お待ちしております。



そんな出来事を 思い出しながら。






No.29
23ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 今年のクリスマスの夜、僕と山下洋輔は、ステージで一言も言葉を交わさなかったし、目線さえ一度も合わせなかった。その方が音がよく聞こえるからだ。そして今年のクリスマスイヴの夜は、いつものように大友とリミッターを外し(彼は自分からは決して外さないので、僕が外すのを毎年待っている)、大いに語り合った。しかし、演奏が始まれば、言葉も視線も交わさなくなってしまう。    大友良英とも山下洋輔とも、実の所したことは同じだ。それは調性という堅牢な社会と、無調という危険極まりないゾーンとを往復することで、要するにボーダーラインを跨ぎ続ける。小学生の頃に、休み時間女子がスカートをたごめてゴム跳びに興じていた。あのステップが音楽には必要だ。ある意味、ボクシングのフットワークと同等に。    ゴム跳びもボクシングもそうなのだが、開始し、ゲームに参加したら抜けられない(休憩はある)スキルは個人的に成長したり停滞したり、落ちたりするものだが、「1年ぶりに会った。その、今日のスキル」は、ゲームが始まらないとわからない。  
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