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santafede33さん のコメント

ここに書くしか書く場所がない

ラテンアメリカでは15歳の少女を祝う習慣がある。その日は、成人式のようなもので、一生に一度の思い出になる大切な日だ。

めでたいことに我々の姪が、15歳を迎えることができ、家族は彼女の住む街へと向かった。

その祝いの日、彼女の通う中学校の前に惨殺された死体が転がっていた。毛布だけ被された体から生温かい血が流れていた。

家族は、目を覆い、目を凝らし、血とその奥にある彼女の中学校を見つめた。その路上に転がる、かつて息をしていた体を見つめた。

彼女の祖母は叫んだ、早く車を出して!(家族は車に乗っていた)、早く!早く!

危険だからではない
この恥辱に塗れてしまった死体から、この場所から一刻も早く離れたいのだ

最近、そこら中に動かなくなった体は転がり始めていたが、まさかこんな近所にも転がるようになるとは誰も思っていなかった

そして家族は15歳を祝う会場に到着する
忘れられない一日となった
この街で15年生きた重みを噛み締める
街が彼女にそう語りかける

帰り道の高速道路は封鎖されていた
ありえないほどの数の軍が道を塞いで

翌日新聞を広げると、その高速道路で沢山の人が殺されたというニュースが書かれていた

ああ、新聞に書かれた、あのニュースの横を通り過ぎたのかと、気づいたのだった
何かが起こった少し後に

この現実が私達の頭を覚醒させる
どうやらボヤッと生きていると死んでしまいそうだ

ここに書くしか書く場所がない
No.9
9ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
<1月22日(月)>   ガラケー 2 つ持ちは我ながらいかついと思うので気に入っている(データ移送をしないで、古いガラケーを電話帳として使っている)。何せ、恐るべきことに、としか言いようがないが「電話番号を暗記する」という、もうとっくに萎縮して使えなくなっていると思い込んでいた脳の一部が活性化したのである。   0×0 ××××   ××××   という、たった11の文字列の暗記が、高校生の頃までは、100近く暗記していた。最初のガラケーを買った時から、その能力は徐々に落ちて、そのうち、完全になくなってしまった。   長沼に電話しようとして、五十音の「な」段でサッと探って、隣にある「長尾」(美學校のスタッフ)に電話してしまい、笑いながら「長沼と間違えた笑」と何度謝ったか知れない。   どんな能力だって、使わなければ衰え、やがて失ってしまうものだ。そのほとんどは、テクノロジーの恩恵によってである。   だからまあ、前のガラケーで番号を引いて、それを一個一個打ち込んだところで、もうあの力は戻って来はしないと思っていた。子供の頃は屋根の上に登って、歌を歌ながら足元も見ずに瓦から瓦へステップを踏んで行って(ターンも楽勝で入ってましたよ。学童用の登校靴で)、一度も屋根から落ちたことがない。今いきなりやったら墜落死するだろう。僕が96キロだった頃、100キロ超の友達がいて、話が盛り上がると、奴は僕にヘッドロックを仕掛け、僕は奴のレバーを狙って思いっきり左でボディを連打していた。今いきなりやったら肩が抜けるか肘を壊すだろう。   子供の頃は皆、超人だったし、僕も超人だった。フリスビーというものが日本に入ってきた時、後ろを向いて「投げて良いよ」と言うと、友達は皆笑ってゆるく投げてきたが、投げても投げても僕が後ろ手ではたき落とすので、みんな全力で投げるようになった。  
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