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<菊地成孔の日記記 2024 1/ 22~28記す>
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<菊地成孔の日記記 2024 1/ 22~28記す>

2024-01-29 10:00
  • 24

<1月22日(月)>
 

ガラケー2つ持ちは我ながらいかついと思うので気に入っている(データ移送をしないで、古いガラケーを電話帳として使っている)。何せ、恐るべきことに、としか言いようがないが「電話番号を暗記する」という、もうとっくに萎縮して使えなくなっていると思い込んでいた脳の一部が活性化したのである。
 

0×0 ××××  ××××
 

という、たった11の文字列の暗記が、高校生の頃までは、100近く暗記していた。最初のガラケーを買った時から、その能力は徐々に落ちて、そのうち、完全になくなってしまった。
 

長沼に電話しようとして、五十音の「な」段でサッと探って、隣にある「長尾」(美學校のスタッフ)に電話してしまい、笑いながら「長沼と間違えた笑」と何度謝ったか知れない。
 

どんな能力だって、使わなければ衰え、やがて失ってしまうものだ。そのほとんどは、テクノロジーの恩恵によってである。
 

だからまあ、前のガラケーで番号を引いて、それを一個一個打ち込んだところで、もうあの力は戻って来はしないと思っていた。子供の頃は屋根の上に登って、歌を歌ながら足元も見ずに瓦から瓦へステップを踏んで行って(ターンも楽勝で入ってましたよ。学童用の登校靴で)、一度も屋根から落ちたことがない。今いきなりやったら墜落死するだろう。僕が96キロだった頃、100キロ超の友達がいて、話が盛り上がると、奴は僕にヘッドロックを仕掛け、僕は奴のレバーを狙って思いっきり左でボディを連打していた。今いきなりやったら肩が抜けるか肘を壊すだろう。
 

子供の頃は皆、超人だったし、僕も超人だった。フリスビーというものが日本に入ってきた時、後ろを向いて「投げて良いよ」と言うと、友達は皆笑ってゆるく投げてきたが、投げても投げても僕が後ろ手ではたき落とすので、みんな全力で投げるようになった。

 
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他14件のコメントを表示
userPhoto 菊地成孔(著者)

>>13

 子供舌には最高じゃないですかね笑

No.15 9ヶ月前
userPhoto 菊地成孔(著者)

>>14

 東さんは(良い意味で、ですが)僕とは対談しないと思いますよ笑。音楽家を過度に神聖視しているので。

 「不適切にもほどがある!」は観ました。あれで植木屋の名前が出るのはズルいですよね笑

No.16 9ヶ月前

戦争って、フェイクでしょ? 意見が違うのは、宗教でも、趣味趣向でも、立場とか、経験とか、目指す理想、目標、夢が決まっているとも限らないけど、まあその違いがあるし、同じって無理だし、同調は『圧』力だし、だけど、机上論として、言葉や数字に於いて、認識の道具として、それぞれに使っているので、混沌や無限を無視して、抽象化された、思考空間の中、強引に合意しゴーイングマイウェイということで、菊地史上、glee『人類は皆エイリアン』星々のように、星々から来て、欲しいの欲しくないの、なんのかんの、、、まあ、garçon的には不協和音だか違和感、セルフでトリートメント、取り留めもなく、ズレズレなる儘、成坊ママ、マンマのマンマで、サンマと同じ体癖?アティチュード?beat?美と?人OTO人、ビットの時代、びっとしてる人々、ビビットって、意味知らないけど、篠山の鬼神亡き、写真はeyephone、音は観るもの、絵は聴くもの、だのなんの、、、

No.17 9ヶ月前
userPhoto 菊地成孔(著者)

>>17

 なんか、いつからかラップのリリックじゃなくなってきたよね。と思ってたところなんで、久しぶりに踏んでるのがきて嬉しいね笑

No.18 9ヶ月前

天才の定義は、なんとなくの感覚で出来てしまうことだと勝手に思っていますが、天才ホイホイの菊地さんとしての天才の見解はどんな感じですか?
1月15日の日記の『グッド·ウィル·ハンティング』観ましたが、あれも天才の話(ざっくり言えばですが)でしたが。
そして、今回の日記の〈1月25日(木)〉のインターミッションがとっても精神分析に感じました笑

No.19 9ヶ月前

甲野先生と菊池さんが接触されていたとは!面白すぎます。初対面でピアノを弾いてる人にいきなり抜刀!映画のワンシーンですか?映画だったらその前後が気になります。

No.20 9ヶ月前
userPhoto 菊地成孔(著者)

>>19

 スンマセン笑、コメント全否定するつもりじゃないんですけど

<天才の定義は、なんとなくの感覚で出来てしまうことだと勝手に思っていますが、天才ホイホイの菊地さんとしての天才の見解はどんな感じですか?>

 もうこれ文意がわかりません笑 ↑ 「なんとなく」「の感覚」「で」「出来る」というのは、一体どう意味でしょうか笑

 僕の天才の定義は、飛び抜けた才能があって、社会とうまくできない気狂いの人です。

<1月15日の日記の『グッド·ウィル·ハンティング』観ましたが、あれも天才の話(ざっくり言えばですが)でしたが>

 あれは天才の話ではなく笑、天才的な才能を持った青年と、普通の精神分析医の友情の話だと思いますよ笑。「レインマン」とか、サヴァン(症候群)みたいのを扱った映画の方が「天才を厚肩映画」だと思います。

<そして、今回の日記の〈1月25日(木)〉のインターミッションがとっても精神分析に感じました笑>

 いやあれは笑、何も分析していないです笑。強いて言えば身の上話を聞いているだけで笑。

No.21 9ヶ月前
userPhoto 菊地成孔(著者)

>>20

 いろんな人にいきなり抜刀しているんですよあの先生は笑

No.22 9ヶ月前

>>21
わからない文意ですみません。
なんとなくの感覚は、今回の日記に書いてあった「子供の頃は皆、超人だったし、」の、その神童的なもののことを私は天才だと思っていたので。

『グッド·ウィル·ハンティング』を友情の話としてもう一度観たら、しっくりきました。

天才的な才能と天才の意味に納得しました。
全部に答えてくださり、ありがとうございました。

No.23 9ヶ月前

政治の教養、全くない私ですが、思い出すのは、小泉さんは北朝鮮に行き、スロープを降りる表情、険しく。良かったですね。そうやってアナログで面と向き合って、vsする、その人が(延長上?)変わらず プレスリー?だとかの表現になっていたとしたら、とても、頼りにしたい という願望が湧きます。 僕も現場に行って、その迫力、かっこよさと、そこでしか分からないトホホ感(マヌケさやトンマ感、つまり愛?)を味わいたいな、と思いました。 現場、とは音楽の現場です。 (菊地さんの実演) 

No.24 9ヶ月前
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