菊地成孔さん のコメント
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まあ、ホモソと言えばホモソだ。文句がある奴は好きなだけ言えばいい。男友達が集まるというのは本当に気分が良い。2度言うが、本当に気分がいいものだ。
女性が嫌いな訳がないし、セクシュアル・マイノリティにはそれ相応の理解があるつもりだ。その上で敢えて敢えて言うが、「まあ、女にはわからないよな」という特別な気分、その領域が自分の中にあることは、その領域が遠からず絶滅することは(「絶滅させられる」わけではない。ということでさえ)理解した上で、誇りに思うし、年齢を鑑みるに、絶滅種として大切にしないとな。とすら思う。
僕はまあ、言ってしまえば便利だからビッグカンパニーもマスメディアも使う。僕は彼らにとっては、実のところ一番タチの悪い厄介者で、極めて扱いづらいので、最後にはクビは切られてしまう。にしてもだ。
なので、タフビーツやブラックスモーカーといった、悪い友達でいてくれる、小さいが真にイルでインテリジェントなレーベルとシンジケート関係である事を、僕は誇りに思うし、かなり実直に言えば、大変な安堵感がある。現代ほど「友達」という言葉を軽んじている社会はない。
パードン木村さんは、ペンギン音楽大学が創設される前、僕がマンツーマンで音楽理論を教えていた時期の、最初期の生徒である。木村さんは一番最初、ヤン富田の弟子筋であるというプロフィールで現れた。
ガリアーノの、僕も見ました。アレキサンダーは確かにでっかい子供ですし、おっしゃる通り、ガリアーノの服は、実は(「実は」と言わせてしまうのが、ガリアーノのバカ具合なんですが笑)全部良いです。いわゆる「天才」だと思いますね。
マルジェラの時は、バカがちゃんと自制していて笑(自分のメゾンのショーだと、フィナーレで決め顔とかするのがバカ過ぎで笑、あれだけは止めろと、確か、ミウッチャ・プラダに言われていたとか何とかで、だから止めずに決め続けた、というのも大バカ伝説だと思いますよね)、とても良いです。
アレキサンダーとガリアーノは本当に正反対です。ガリアーノの少年性の中には頭のおかしい守銭奴や糞爺が住んでいて、誤解を恐れずにいえば、とても不潔ですね笑。サルバドール・ダリとかに近いです。ジバンシィの頃のアレキサンダーの服は、なんかもう輝いていて、清潔すぎて、目が眩むほどです。
僕は靴まで含めたアレキサンダーのセットアップを持っていて、デザイン上のテーマが、スタッズというより、ラインストーンやスワロフスキみたいな感じなんですが、小さなビーズのドットがラペルと腰巻きと靴全体にびっしりと並んでいます。
技術的にも発想的にも、一番簡単な技法でしょう。しかし何時間見つめても、触っても、全く飽きない。無駄にキラキラもしていない。凄いなあ。清潔だなあ。と思います。
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