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右方のフィアンマさん のコメント

おもしろいなwwwww
No.1
147ヶ月前
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 ひとは逢ってみなければわからないし、本は読んでみなければ語れない。読んだことがない本の内容について憶測で語るのは下品だ。とはいえ、読む前からおもしろさを確信できる本はあるもので、本書『「弱くても勝てます」 開成高校野球部のセオリー』はそういう一冊なのであった。  そもそもタイトルからしておもしろそうじゃないですか。「開成高校野球部のセオリー」。あの東大進学率全国首位、日本一偏差値の高い高校である開成の野球部に着目するあたり、目の付け所がいい。『偏差値70の野球部』という小説があるが、まさに「リアル偏差値70の野球部」なのだ(検索してみたところ、じっさいには開成の普通科は偏差値78らしい)。  しかも、それがただ単に文武両道の屈強な部なのだったらおもしろくも何ともないが、これが実に弱いのだという。グラウンドの都合で練習時間が少ないから(週1回3時間)、技術はつたなく、自信もないのだとか。  しかし、その文弱の野球部が弱いままで強豪校を打ち破り、何とベスト16に入ってしまうということがじっさいにあり、あわよくば甲子園出場を狙っているというのだから興味深い。いったいどんな秘策を用いているのだろうか。計算しつくされた頭脳プレイ? それとも緻密を究める作戦の妙? どうです、読んでみたいとは思いませんか。  ぼくは思ったので、さっそく読んでみた。おもしろい! まずこの野球部、ほんとうに「弱い」。週一しか練習できないのだからあたりまえともいえるが、守備力が低く、エラーを連発するのはいつものこと。「エラーは開成の伝統」といい切るいさぎよさ(?)すらある。  そもそも守備の要のピッチャーからして、エースといえる存在はなく、ただストライクを投げられるだけでもピッチャーになれてしまうのである。こんな「弱い」野球部がどうやってベスト16にまで行ったのか? それは本書を読んでのお楽しみ。としたいところだが、かるく種明かししておこう。  まず開成高校野球部の長所は攻撃である。かれらは大量得点をめざして打順をいじり、打力のある選手を「下位から上位に向けて」集中させている。この打力によってまず相手ピッチャーを打ち崩し、そして精神的に動揺する相手の隙につけこんでどさくさ紛れに連続得点を奪ってしまうのが開成の目指す方法論だ。  だから、勝つ時はコールド勝ち、負けるときはコールド負けという、異常にギャンブル性が高い野球をすることになる。高校野球の常識にはないセオリー。しかし、これが開成の野球なのである。  「日本一頭がいい」といってもさほど過言ではない開成高校の選手たちではあるが、天は二物を与えないのかどうか、あまり運動神経には恵まれていないらしい。そして校風の影響で性格的にものんびりした選手が多いのだという。じっさい本書を読んでいてもあまり闘志あふれる選手は出てこない。  いちばん熱心なのは監督で、いちばん勝敗にこだわっているのも監督なのだ。その監督がいうには異常なほどの練習漬けを続けている強豪校の野球部には生半可なことでは勝てない。だからかたよった練習をして能力の一部分だけを高め、そこで勝負するしかない。「自分のウィークポイントはあきらめ、ストロングポイントを強化する」という理屈を極端なかたちで実践しているのが開成野球なのである。  したがって、普通のチームのように戦って買っても監督は褒めない。10-5で青陵高校との練習試合に勝った時など、かれはいうのだ。「これじゃ普通の強い高校みたいじゃないか!」。勝ったのだからいいようなものだが、そういうわけではないらしい。開成の力の入れどころは攻撃なのだから、15点以上取るべきだったという理屈らしいのだ。  監督はいう。 「お前たちは打席で何してるんだ? 打席でヒット打とうとしている? それじゃダメなんだよ! 何がなんでもヒットじゃなくて、何がなんでも振るぞ! だろう。大体、打つのは球じゃない。物体なんだよ」 「俺たちは小賢しい野球、ちょっと上手いとかそんな野球はしない。自分たちのやりたいことを仕掛けて、そのやり方に相手を引っ張りこんでやっつける。俺たちは失敗するかもしれない。勝つこともあれば負けることもあるけど、勝つという可能性を高めるんだ! これなら国士舘や帝京にも通用するんだよ!」  週1回3時間の練習で帝京や国士舘を倒す。とほうもないような話だが、この監督はべつに大げさなことをいっているわけではない。じっさい、ベスト16で散った大会で開成は国士舘に敗れているのだが、優勝したのはその国士舘なのである。考えようによっては甲子園はそう遠くないところにあるともいえるのだ。  そのためには通常の野球のセオリーを無視もする。たとえば開成野球にはサインがない。ノーサインチームなのである。 「サインを出して、その通りに動くというには練習が必要です。ウチはそんな練習をやらせてあげる時間もないし、選手たちも器用じゃありませんから。バントしろと支持をしたって、そもそもバントできないですからね。それに、サインを見るというのは一週の習慣でして、ウチの選手たちは見る習慣がないですから、出しても見落とすんですよ」  だから、選手が自分で判断し、打ったり守ったり走塁したりする。また、甲子園を目指していないわけではないが、目標はあくまで「強豪校を倒す」こと。その結果として甲子園出場が付いてくればいい、というスタンスだったりする。  プロに入り、メジャーリーグに行ってホームランの世界記録を塗り替えると豪語する選手もいることはいるのだが、大半の選手の夢は違う。かれらは卒業後には東大を初めとする一流大学に進み、医者になったり弁護士になったりするはずの選手たちで、野球はあくまで「ゲーム」。ゲーム故に勝ったり負けたりすることがあるということを受け入れた上でプレイしているのだ。  しかし、ゲームはゲームなりに負ければ悔しい。だからかれらも少ない練習は集中して行う、かといえばそうでもなく、やっぱりのんびりしている。それで強豪校と渡り合おうとし、じっさいにときには勝ってしまうのだから恐ろしい。強豪校とは、全国から集められた野球エリートが猛練習を繰り返している高校のことなのに。  もちろん、そうそう強豪校には勝てない。夏の甲子園予選では一回戦負けすることもあるし、そもそも下手なのだから、キャッチャーがボールを後逸しまくり、審判に「しっかり捕れ!」と叱られるなどという、野球漫画ではまず出てこない場面も出てくる。  それでも、かれらは本気で強豪校を倒すつもりなのだ。そのために「開成高校野球部のセオリー」がある。たとえば「練習」に対する監督の言葉を見てみよう。 「グラウンドでやるのは『練習』ではない」  監督は意味不明なことを言った。 ――練習じゃない? 「『練習』という言葉は、同じことを繰り返して体得する、という意味です。しかしウチの場合は十分に繰り返す時間もないし、体得も待っていられません。それにそれぞれが繰り返すべき何かをつかんでいないわけですから、『練習』じゃダメなんです」 ――それで何を?  私がたずねると監督は明快に答えた。 「『実験と研究』です」 「グラウンドを練習ではなく、『実験の場』として考えるんです。あらかじめ各自が仮説を立てて、それぞれが検証する。結果が出たらそれをまたフィードバックして次の仮説を立てることに利用する。このサイクルを繰り返していくうちに、それぞれがコツをつかみ、1回鶻が見つかれば、今度はそれを繰り返して体得する。そこで初めて『練習』と呼ぶにふさわしいことができるんです」  実験と研究。これこそ偏差値78の野球部にふさわしい態度なのかもしれない。とはいえ、個々の選手はやはり下手なのである。ある選手など、「僕の課題はまず『落下地点に入る』ということでしょうか」と言い出す。 「球が来ると焦っちゃうんです。『捕れない』と思っちゃうんです」 ――焦らないようにすればいい。 「それが、焦らないようにしても『捕れない』と思うと本当に捕れなくなっちゃうんで」 ――じゃあ「捕れる」と思えばいいんじゃないですか? 「いや、何も考えずにやれば捕れるんです。でも、何も考えずにやれば捕れる、と考えちゃうと捕れなくなる」  ほとんど禅問答である。ふつう、こういう問題点はひたすら練習をくり返すことによって克服するしかないわけだが、開成の場合、何しろ「実験と研究」であるから、理論が先に来る。これはあらゆる面でそうで、たとえばあるキャッチャーはいう。 「球が『来た』と思っちゃいけないんです。『来た』という時点で気持ちが出遅れてしまいますからね。でも心に不安があると『来た』と思っちゃう。『来た』ではなく『来い』。実際、調子がいい時は『来い』と思いますから」  一事が万事、すべてがこの調子で言語化されるのだからおもしろい。しかし口先だけで野球ができるはずもなく、一軍二軍を決めるテストをやってみたら一軍がゼロになってしまう……。だめだこりゃ、といいたくなるような結果であるが、それでも開成高校野球部は戦う。そのために「必要十分な練習」をし、「必要十分なプライド」を持つ。  必要十分? つまり、本当に必要な練習しかしないのである。たとえば、ダブルプレイは必要以上だからとらなくてもいい。自分の守備範囲を無理なくさばいてアウトにできればそれでいい。初めからファインプレイなど狙っていないのだ。  ぼくが最近こだわっている「グレートネス・ギャップ」にも通じる話だが、弱者が強者に勝とうと思ったら開き直ることである。勝てないところは勝てないのだと思い切ってしまう。その上で、どのポイントなら有利に運べるか考える。いくらなんでも相手だって完璧ではないのだから、弱点を突くことはできるはずなのだ。  弱いまま勝つためには、自分たちが弱いという事実を受け入れるところから始まる。その上で、劣等感を持たず、相手に呑まれもせず、客観的に勝率を上げるための戦術を考える。もちろん、確実に勝つなど不可能である。ギャンブルをするしかない。しかし、逆にいえば、ギャンブルをすれば勝率0パーセントということはないのだ。  思うに、ぼくたちはふだん、敗北や失敗を怖がりすぎているのではないだろうか。「負けてはいけない」と思うからこそ、負ける可能性を考慮に入れて戦略を練ることができない。だからかえって勝率が下がる。開成高校野球部について読んでいて、そんなことを考えた。  偏差値78の「弱い」野球部。かれらが甲子園の土を踏む日は来るのだろうか。永遠に来ないような気もするが、世の中、何が起こるかわからないということも本当である。ぼくたちもかれらの挑戦に学ぶべきだ。あきらめたらそこまで。どんなに実力差があっても、何とかする術を考えつづける。そんな「弱者」に、ときに勝利の女神はほほ笑みかけてくれるのだと信じよう。
弱いなら弱いままで。
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