Alfred-Laimyさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
以下、「家族2.0」の記事へのAlfred-Laimyさんのコメントです。
海燕さん
「家族2.0」について読ませて頂きました。思うところがあって色々と書いていたら結構長くなってしまいましたが、お言葉に甘えてコメント欄に投稿いたします。
僕にもその思いには覚えがあります。新幹線を使えば2時間30分で帰れるとはいえ、郷里から遠く600kmも離れた関東の地で一人暮らしをする自分には、海燕さんの主張は痛いほどよく解ります。
でも、いや、だからこそ、「家族2.0」という関係は決定的なところで“弱い”。そこには苦しみや悲しみといった、人間の弱さの共有が、根の深いところで欠けています。いや、それは「家族2.0」が“意図的に避けたもの”とさえお見受けします。
仰る通り「近代家族」は血でつながれた、断ち切り難い関係です。庶民から芸術家に王族まで、古今東西この「家族」というものに如何程の人間が
一部くらいが記事で言及されるかと思ったら、まさか丸々1本記事で返答が来るとは思いもしませんでした。感謝を込めつつ、この記事にもご返信をしたいと思います。
先の僕の意見では、確かに「もはや家族ではな」くなった家族の存在を失念していました。いつぞや海燕さんに言われた「君は光属性の人間だ」という台詞を思い出した次第です。
僕の周りを見回しても、「もはや家族ではな」い家族は少なからず存在します。そんな家族のもとで生きてきた知人から聞く家庭の話は、親の無責任さやうんざりするような兄弟姉妹などなど。“好きの反対”、つまり無関心によって支配されている人間達が、世間体などの外圧によって“家族”と称し縛り付けられ続けています。その様は控えめに言って拷問、やもすると地獄そのものです。
家の外で友人と楽しい時間を共有できるのに、別れの間際に孤独をにじませた寂しい目を見せる。そんな人も僕は知っています。その目は僕に訴えかけるんです、「今こんなに楽し良い時間を過ごしているのに、どうしてまたあの憂鬱な“イエ”に戻らないといけないのか」と。
前に踏み出す気力さえ奪われた人は、この地獄の中で人生の長い時間を過ごし、崩壊した家族の物理的な消滅によって、別種の地獄へまた堕ちてゆくでしょう。前に踏み出そうとする人は、地獄を否定して自らの力で生活を始める。程度の差はあれ、海燕さんがテーマにしているのは前に踏み出そうとする人達なのだと思います。あるいは今の家族に見切りをつける必要の無い人も含まれるでしょうが、ここではもう少しシリアスなシチュエーションを考えたいと思います。
残念ながら彼ら彼女らが抱える寂しさは、おそらく「家族2.0」では癒せない。むしろそういう人達にとって「家族2.0」のゆるやかな暖かさは、“「家族」が与えてくれると夢想するもの”を残酷なまでに先鋭化するのではないでしょうか。彼ら彼女らは例外なく「強いつながり」を求めており、それは結局のところ「家族」からのみ手に入るものなのです。
人間は皆人の子であり、この事実こそ「家族」の原点であり「強いつながり」そのもの。それ故に「弱いつながり」では自身の根源に到達できず、「私は誰だ」「何故生きる」という答えの無い自問自答に苦しむでしょう。
海燕さんの人生戦略のように、「弱いつながり」の多極化と強化による自己の立脚も充分にあり得るとは思います。ですがそれでも「出生から20年ほど」の親との期間による「強いつながり」の影響は、あまりにも大きい。「『家族2.0』の大きな課題」をどう乗り越えるのか、今の僕には見当がつきません。それ故に「弱いつながり」というものが、あまりにも脆く儚く見えてならないのです。
先の意見を書いたときよりも思考にまとまりがないため、どうにもとっ散らかった文章になってしまいました。悪文ですが、思想の足しになればと思います。
海燕さんが考えるよりも「家族」の祝福と呪いはずっと大きいと、僕は考えます。何故なら僕たちは、どこまでいっても人間だから。
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