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memetaa2さん のコメント

おつかれさまでした。一体何事かと思っていました。

自分は亡くなられた方のことは知りませんが、ネット上でこういった絆があるというのは、かけがえがないものですね。
落ち着いたらまた記事の方をよろしくお願いします。
No.3
137ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 きょうのTwitterでの連投をここにまとめておきます。ぼくがここ数日間、更新をサボって何をしていたかといういいわけです。聞く耳持たんわ!というひとは読まないでください。それなりにシリアスな話題ですので、その点も了解の上、お読みいただければ、と。 ご遺族の許可を得た上で、訃報をお届けします。さる6月2日(日)sajikiさん(@sajiki)が亡くなられました。死因は心不全、享年34歳でした。故人をご存知の方はこのツイートをリツイートするなり個別にリプライするなどして、ほかに関わりがあったと思われるひとに事情をお伝えください。 数日前にぼくがTwitterで取り乱していたのを憶えておられる方もいらっしゃるでしょう。あのとき、実はsajikiさんの妹さんから訃報をお知らせいただいたのでした。まったく突然のことで、当初は信じられず、うろたえてしまいましたが、残念ながら事実でした。 その後、妹さんと電話連絡が取れ、故人のネット関係の友人にこのことを知らせてほしいとのご意向だったので、故人と知りあいだったひとたちにはぼくのほうから連絡させていただきました。夜中に電話をかけてたたき起こしたひともいますが、事情が事情なのでご容赦くださいね。 亡くなられたのが2日で、ぼくたちのところに連絡が来たのが3日の深夜、すでに4日に入るあたりです。ぼくはたいとくさん(@taitoku)と連絡を取り、故人と親しかった友人たちをスカイプで集めてどうしようかと相談しました。というのも4日の昼12時から葬儀が始まるのです。 以下、故人とは直接関係がないことながら、その日にぼくたちがどういう行動を取ったかということを書かせていただきます。なぜ3日間もブロマガの更新をサボったのかということの言い訳に過ぎないともいえるので、ここからは興味のある方だけ読んでください。 故人の地元は四国の愛媛県です。常識で考えたらほかの都道府県から12時間後に参列することはむずかしいでしょう。しかし、首都圏在住のある方がまず自分が行く、と言ってくださいました。ここでは仮にMさんとしておきましょう。Mさんは飛行機を飛ばして参列してくださるつもりのようでした。 Mさんに続いて山梨県のてれびん(@terebinn)も大学を休んででも行くと言ってくれました。かれは夜行バスを使って羽田に出て、そこから飛行機を飛ばすつもりとのことでした。じっさい、その日の午後3時頃にはかれはその場を離れ、バス停へ向かっています。決断と行動が速いですね。 関西の敷居さん(@sikii_j)とレスター伯(@LeicesterP)は当然ですが翌日仕事があり、当初は行けないとのことでしたが、無理して行ってくれることになりました。相当無理目のスケジュールながら、新幹線などを利用して行くつもりであるようでした。 さて、ぼくは新潟ですが、故人と最後のお別れをしたかったので、行くことにしました。家族には「いまは感情的になっているが、新潟から愛媛まで行くのは無理だ」という理由で反対されましたが、それは頭を下げて押し切ってしまいました。手もとのお金をかき集めて新幹線の始発に乗ります。 その後、上越新幹線の近くで不発弾が発見されるというトラブルなどはありつつも(!)、なんとか東京駅へたどり着きてれびんと合流、モノレールで羽田に向かいます。そこでようやくATMからお金を下ろしたりつつ、運良く切符が取れた飛行機で愛媛の松山空港へ向かいました。 そのあいだ、徹夜だったこともあって外の景色を楽しむ余裕などはなく、ひたすら寝ていました。空港に着くと、今度は葬儀場まで移動です。レンタカーを借りる計画もあったのですが、結局、時間が読めないと困るということになり、バス、電車、タクシーを組み合わせることに。 駅で香典袋を買って電車のなかで香典を包み、火葬場に着いたのが13時ごろ。数十分後、すでに来ていたMさん、敷居さん、レスター伯と合流します。なんとか火葬に間に合い、故人と最後のお別れをすることができました。何かひとつ間違えていたら間に合わないところだったので、よかったと思います。 ここまで、信じがたい思いを抱えていたものの、残念ながら棺に収まっているのは紛れもなくぼくたちが知っているsajikiさんでした。ぼくたちはそのあと、ご遺族の方とお話させていただき、故人の思い出話をしました。故人にはたくさん仲間がいたこと、とても好かれていたことをお話しました。 故人はネット関係の友人のことをご家族にくわしく話していたようで、ご家族の方はぼくたちの名前を知っていてくれました。それもあってご家族の皆さんには喜んでいただけたようです。新潟から無理して行った甲斐がありました。その後、お斎をいただいたあと、バスと新幹線で京都の敷居さんの家へ。 その途中でたいとくさんと合流、6人になって午後10時40分ごろに敷居さんの家に到着。全員、疲れきっていましたが、すでに銭湯も開いていない時刻で、かわるがわるシャワーを浴びて済ませたあと、しばらく話をして、就寝。実に密度が濃いというか、非日常的な24時間でした。 sajikiさんはぼくにとって最も親しい友人のひとりでした。ひとなつっこく、真面目な性格で、紛れもなく「いい奴」でした。あまりに真面目すぎるため考えこみすぎるところが心配ではありましたが、まさかこんなに早く別れの時が来るとは想像していませんでした。ひたすら残念です。 ご家族にsajikiさんにたくさんの友達がいたのだとお知らせできたことがせめてものの救いでしょうか。あるいはそれも自己満足かもしれませんが、ぼくにできるだけのことはやれたかな、と思っています。いまなお、sajikiさんのスカイプからひょいと連絡が来そうな気がしてなりません。 また、今回、あらためてネットを通した絆の強固さを感じました。葬儀まで12時間を切っていたにもかかわらず、日本全国から仕事や学校を休み、駆けつけた敷居さんやレスター伯やてれびんの友情の厚さには感動させられました。ああ、ほんとうにほんとうの仲間だったんだな、と思い至ったしだいです。 故人は実にいいひとでしたが、かれが最後に作ったネットの仲間もみんな、ほんとうにいいひとたちだと思います。その場に行けなかったひとたちからもたくさん連絡をいただき、励まされました。ありがとうございます。最後にひとつ、みんな、健康を大切にね! 死ぬなよ! ぼくも死なないから! 以上です。  
弱いなら弱いままで。
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