海燕さん のコメント
このコメントは以下の記事についています
次の日曜日、『ガッチャマンクラウズ』のニコ生を放送しようと思います。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv150656748 この傑作(になりえる作品)が、いまだ「知るひとぞ知る」ポジションに収まっていることはいかにも惜しい! 微力ながら宣伝と拡散に力を尽くす所存です。
こういう時、いつもぼくにもっと多くのひとに伝える力があればいいのと思いますね。
まあこのブログも、アクセスだけは月間80万PVとか行っているのですが、そのほとんどが一見さんでしかないので、ほんとうの意味での人気ブログということははばかられます。
ぼくにもっとひとの興味を惹きつける力があったら、マイナーな名作をマイナーには終わらせないのに、と思うのです。
18禁ゲームの『らくえん』とか『SWAN SONG』に対しては特にそういうことを考えました。
しかしまあ、現実にはぼくは無名の一ブロガーであるに過ぎないので、できることといえばこういう記事を書く程度です。
それでもこの作品がより広い層に広まっていけばいいな、という祈りを込めて放送完結まで見守っていきたいところです。
それでは、『ガッチャマンクラウズ』のどこがそんなに凄いのか? それについてはこれまでの記事でも書いてきました。
http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar322009
http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar325498
で、この作品がどうしてぼくのような古参のマニアックな視聴者を魅了するかといえば、それは時代の文脈をものすごい勢いで駆け抜けているように見えるからです。
第2話にしてはじめちゃんが共存不可能とも見える異星生命体MESSとコミュニケーションを果たしてしまった時に唖然としたマニアは多いはず。
それはいままでの物語では最終回あたりに届くかどうか?という射程だったからです。
「悪にしか見えないコミュニケーション不可能の「他者」を倒すのではなく、かれと和解する」という方法論は、ほんの数年前の最先端なんですね。
しかし、はじめちゃんはあっというまにそれを成し遂げてしまう。
そして登場するGARAX! この「大衆の善意を組み上げ直列につなげるシステム」は、これも何年か年前の作品が「結論」として提示していたアイディアです。
しかし、これも第4話あたりでもうその限界が見えてきてしまう!
おいおい、いったいどこへ行くつもりだよ? どこまで行っちゃうつもりなんだよ? いままでの文脈をきっちり押さえているひとほどそう思うはず。
だって、それ自体、当時、最先端の作品であったはずの『東のエデン』や『サマーウォーズ』の「結論」をあたりまえのものとして「前提」にして、「その先」を目指していることがあきらかにわかるのです。これが興奮せずにいられるでしょうか。
作中、爾乃美家累が生み出したGARAXのシステムが『まおゆう』のメイド姉のテーマをさらに洗練させたものであることはすでに書いた通りです。
『ガッチャマンクラウズ』では従来のヒーローの限界が提示されるとともに(「暴力大好きですやん!」)、「その解決策の限界」まで示されてしまう。
これはね、すごすぎる。もちろん、
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