中絶―生命をどう考えるか



【障害児と中絶】

 「子供のダウン症が発覚したのに中絶させてくれない」という記事を読みました(http://anond.hatelabo.jp/20131024131046)。

 なかなか興味深い話なので、ちょっと考えてみましょう。障害児と中絶を巡る問題には非常に錯綜したさまざまな倫理的問題が関わっているのですが、ここで一々取り上げることはしません。

 この書き手が抱える問題が現実なのか「釣り」なのかも問題ではありません。こういうひとは現実にいるだろう、ということこそ問題です(この書き方は釣りだろうとぼくも思いますが)。

 生まれる子供が障害を抱えている可能性が高いから中絶したい、という女性ですね。その気持ちはよくわかるというか、非常に共感できる。やはり障害がある子供を育てることはとても大変だろうと思うからです。

 しかし、ほんとうにそれだけが問題なのかといえば、おそらくそうではない。より重要なのは精神的な負担の問題でしょう。つまり、「自分の子供が障害児なんて耐えられない!」という話です。

 意地悪く云うなら、生まれてくる子供が一定以上「正常」で、賢くて、可愛い場合のみ可愛がれる、ということですね。その条件を満たしていなければ自分の子供として認めることができない、と。

 その心理は倫理的に「正しい」ものではないかもしれませんが、多くのひとは単なる偏見と笑うことはできないでしょう。大半のひとは、正直に云うなら、この種の「偏見」を抱えているものなのではないでしょうか。



【正解はあるのか?】

 それでは、こういう場合、どうすることが「正解」なのか。もちろん、「正解」はありえません。それぞれの人がそれぞれに悩み、考えなければならない問題です。

 ただし、ひとつ云えることは、たとえ検査をパスしたとしても、障害児が生まれてくる可能性はあるということです。

 いくら「健常児じゃなきゃイヤ」と云って、障害児の疑いがある子を中絶したとしても、生まれて来てみたら障害児だった、ということはありえる。

 仮にダウン症などの「わかりやすい障害」でないとしても、心臓に疾患があったとか、精神に問題を抱えていたとかいうことはいくらでもありえる。

 そういうとき、障害児の息子を中絶した親はどうするのでしょう。「あ、この子は失敗だったから捨ててもう一回出産しよう」と云うのでしょうか。まさかそんなわけには行かないでしょう。その運命を受け入れて育てるしかない。

 しかし、「健常児じゃなきゃイヤ」という理由で障害があるかもしれない子供を中絶した親に、その運命が受け入れられるでしょうか。

 また、一切の障害がなかったとしても、子供は親の思い通りに育つものではありません。不良になるかもしれないし、宗教に入ったりするかもしれない。

 犯罪者になるかもしれないし、性的マイノリティということも考えられる。希望通り、期待通りには行かないことがあたりまえなのです。

 もし思い通りに育てようとするなら、それは暴力です。あるいは「自分の希望通り」じゃないと子育てができないというのなら、子供は産まないほうがいいのかもしません。どこかで破綻する可能性は高いですから。



【アンコントローラブル】

 ぼくは何も「障害児でも産め」と云っているわけではありません。そうではなく「障害児を避けたとしても、子供はあなたの思い通りに育つとは限りませんよ」と