お金が欲しい。
収入を増やしたい。
一方でそう願いながら、他方でぼくは「つましい生活」に憧れている。
むろん、貧乏を希望しているわけではない。清貧の思想とやらにかぶれたわけではさらさらない。
ただ、わが身の浪費を思うとき、もう少し少ないコストで快適に暮らしていけるのではないかと思わずにいられないのだ。
いまのままでは、仮に収入が倍になったとしても、その分をすべて無駄に使い尽くして終わるだけかもしれない。
それは相対的に贅沢な暮らしではあるだろう。だが、ぼくが考える「豊かな人生」とは異なる。
お金が欲しい、収入を増やしたいと強く望みながら、反面、ぼくは「極力お金に頼らずに生きて行く方法」について考えているわけなのである。
西園寺マキエ『稼がない男』を読むと、その「お金に頼らない生活」を成し遂げたひとりの男性の人生を見ることができる。
著者の恋人であるヨシオ(仮名)は、早稲田大学を優秀な成績で卒業し一流企業に就職しながら、あっさりとその就職先を捨て、「稼がない人生」に突入する。
ヨシオの年収はわずか150万円弱。かれは生活のすべてをその金額でまかなっている。
常識的に考えれば困難だが、そもそもあまりお金を使わない生活をしている上、生活に必要なあらゆる雑費を緻密に算出して管理しているため、この金額でも困らないのである。
もっとも、たとえば突然パソコンが壊れたとき、途方に暮れるしかないことも事実。
それでもヨシオはどこまでも楽天的で、「稼がない人生」をほとんど享楽的に味わい尽くす。
著者はこの心優しい「稼がない男」の生きざまを数十年も追いかけていく。
ぼくがこの本を読むと、「ああ、この収入でも生きてゆくことはできるのだな」となんとなく安心する。
そして、その上で自分はなるべく稼ごうと考える。
人間の幸福はお金では決まらない。それはたしかだが、一定額のお金はある程度の「自由」を保障する。
そして、ぼくはヨシオとは違って、その「自由」を放棄できるほどに悟ってはいないのである。
とはいえ、「最低金額での生活」はそれはそれで魅力的だ。
じっさい、様々なものが安価になったいま、無駄な出費を避ければ、限りなくローコストで楽しい人生を送ることができるだろう。
テレビアニメの録画にも、ニコニコ動画の鑑賞にも、LINEやSkypeでのやり取りにもほとんどお金はかからないことであるし。
山崎寿人『年収100万円の豊かな節約生活』を読むと、その節制生活をさらに突き詰めた人物を発見できる。
この本の著者は、生活のあらゆる無駄を切り詰め、年間わずか100万円で暮らしている。
この「楽しく」というところが重要で、かれの生活は決して暗くもなければ憂鬱でもない。
ただ無意味な出費を避けているだけで、かれは十分に「贅沢」な人生を送っている。
ぼくがあこがれる「つましい生活」の理想形がここにある。
何より、日々の食事に凝っているところに惹かれる。
そう、あえて大金を蕩尽しなくても、手間さえかければ美味なものは食べられるのである。ラグジュアリーなレストランの最高級ディナーとまでは行かないとしても。
「お金に頼らない人生」は