検証した本

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■大宅壮一ノンフィクション賞の候補作にスキャンダルが発覚

ノンフィクション作家・佐野眞一氏は、1997年に『旅する巨人宮本常一と渋沢敬三』(文藝春秋、96年刊行)で第28回大宅(おおや)壮一ノンフィクション賞を受賞した。文学者にとって芥川賞や直木賞が最大の栄誉であるように、ノンフィクション作家にとって大宅賞に勝る賞賛はない。

佐野氏にとって、大宅賞受賞は「三度目の正直」どころか「五度目の正直」だった。受賞が決まるまで、彼は合計4回もノミネートされながらことごとく落選してきたからだ(以下が落選作の一覧)。

▼82年、第13回大宅賞(『性の王国』文藝春秋、81年刊行)

▼91年、第22回大宅賞(『紙の中の黙示録 三行広告は語る』文藝春秋、90年刊行)

▼93年、第24回大宅賞(『遠い「山びこ」 無着成恭〈むちゃく・せいきょう〉と教え子たちの四十年』(文藝春秋、92年刊行)

▼95年、第26回大宅賞(『巨怪伝 正力(しょうりき)松太郎と影武者たちの一世紀』(文藝春秋、94年刊行)

91年の第22回大宅賞では、佐野氏のノミネート作品『紙の中の黙示録

三行広告は語る』が問題視された。この作品の一部に、よりによって大宅賞の選考委員である深田祐介氏の著書『新東洋事情』(文藝春秋、88年刊行)にインスパイアされたと見られる記述があったのだ。

■立花隆氏、柳田邦男氏から飛び出した意味深なコメント

第22回大宅賞の選評では、自らの著書を利用された深田祐介氏は、佐野氏を名指しして批判してはいない。

《後の作品について感想を述べる紙幅が尽きたが、どうも候補作品の選定に緻密(ちみつ)さを欠く印象が残った。》(「文藝春秋」91年5月号)

と述べるにとどまっている。ほかの選考委員(澤地久枝氏、立花隆氏、柳田邦男氏)も『紙の中の黙示録』についてはひとこともコメントしていない。

『遠い「山びこ」』がノミネートされた第24回大宅賞では、二人の選考委員が意味深な選評を寄せている。

《私は『遠い「山びこ」』がいちばんいいと思った。(略)この作品が作品論とは別の次元の問題から受賞を逸すことになったのは残念である。》(立花隆氏/「文藝春秋」93年6月号より)

立花隆氏

《私は佐野眞一氏の『遠い「山びこ」』を一番に推(お)した。(略)ただ、著者の前々回候補作の一部に、深田委員の作品と同じ話題を同じような文脈で書いたというトラブルがあったことから、今回はいわば禊(みそ)ぎの意味で受賞見送りとなった。他人の作品に書かれた事実(話題)をあとから取材して自分の作品に書いた場合、先に書いた作家の著作権はどうなるのか、そのノンフィクション分野でのルールは確立しておらず、大きな宿題となった。佐野氏は実力があるのだから、くじけずに再挑戦してほしい。》(柳田邦男氏/「文藝春秋」93年6月号より)

柳田邦男氏選評

柳田邦男氏選評

いったい『紙の中の黙示録』のどこが問題だったのか、深田氏の『新東洋事情』と合わせて比較検証していこう。深田祐介著『新東洋事情』(文藝春秋、88年刊行)の《「ミスタ・じゃぱゆき」のいる光景》という章(59~85ページ)と、佐野眞一『紙の中の黙示録』(文藝春秋、90年刊行)の《みえない街みえない人》という章(29~47ページ)を参照した。

なお、『紙の中の黙示録』の単行本版は90年6月に出版されている。佐野氏は1947年生まれだから、43歳のときに書いた作品ということになる。

■類似点その1

《朝七時半、京成押上線荒川駅に行ってみると、南西アジア、つまり、インド、パキスタン系の顔をした外国人労働者が、満員電車から三人、四人と降り立ちます。電車の着く度に、彼らの数は「あそこにも、ここにも」という感じで増えてゆき、三十分の間に数十人の数に達します。》(深田祐介『新東洋事情』文藝春秋、61ページ)

《京成押上線荒川駅。一日の平均乗降客千四百人、急行列車も黙殺する、この川っぷちの小駅に、五、六年前から小さな変化が起こりはじめた。日本人に混じって、色の浅黒い外国人労働者たちがちらほら乗り降りするようになったのである。その数は日を追うごとにふえ、いまでは乗降客の二割にも達している。》(佐野眞一『紙の中の黙示録』文藝春秋、38ページ)

柳田邦男氏が《深田委員の作品と同じ話題を同じような文脈で書いた》と指摘しているとおり、京成押上線荒川駅で外国人労働者を観察する取材手法が同一だ。

■類似点その2

《インド系外国人労働者の出勤先きは、西墨田の一角にある皮革関係の約百五十社の小工場群です。》(深田祐介『新東洋事情』63ページ)

《彼らは、土手下のじめついた淋しい道を抜けて、二つの運河にはさまれる形で密集する零細工場地帯にその足を向ける。この地区一帯には、豚皮の鞣(なめし)や染色業を中心に、油脂や肥料工場など約百五十の小工場がびっしりと張りついている。》(佐野眞一『紙の中の黙示録』38ページ)

■類似点その3

《彼ら【=荒川駅から降りる外国人労働者】は「法の目」を恐れるのか、いずれも顔がひきつるほど緊張し、鋭い目をあたりに放って、落着かぬ態度です。》(深田祐介『新東洋事情』61ページ)

《明らかにイスラム系の顔をした二十歳代の若者が二人、おびえたような表情で、豚の皮をひき伸ばす張り込み作業をしている。》(佐野眞一『紙の中の黙示録』38~39ページ)

■類似点その4

《板橋区の成増の駅でも、朝七時半にマイクロバスが迎えにきて、十数人の外国人労働者が、これに乗りこむ風景が目撃されます。》深田祐介『新東洋事情』62ページ)

《この期間、三人のバングラデシュ人労働者を摘発された東京・板橋区内のある製本工場の女性工場長は、彼らを犯罪者扱いする入管のやり方に対し、憤懣(ふんまん)をぶちまけたものだった。》(佐野眞一『紙の中の黙示録』40ページ)

「荒川駅周辺で働く外国人労働者」に続き、「板橋区で働く外国人労働者」が共通する。

■類似点その5

《若者に人気のあるカフェ・バーや六本木のレストランでも、彼らの姿が目に立つようになった。

 あるチェーン組織のイタリアン・レストランTでは、

「オープンして三年目ですが、今までに三十人以上面接して十四、十五人は雇いました。ほとんど東南アジア出身者ですが、採用のポイントは、容姿と人柄です」

(略)こんなぐあいに、外国人労働者の日本への出稼ぎは、昭和六十年後半から顕著な増加傾向を示している。》(深田祐介『新東洋事情』62ページ)

《「留学生も可」としてウエイターを募集した東京・千代田区内の喫茶店主はあきらめたような表情でいうのである。

「東京の一等地、しかもきれいな職業というイメージのある喫茶店でも、若い人は集まらないんです。それだけ日本人の意識が変わってしまったんでしょうね。ええ、うちではバングラデシュ人を雇っています」》(佐野眞一『紙の中の黙示録』41ページ)

荒川駅周辺、板橋区に続き「都心のカフェで働く外国人労働者」が共通する。

■類似点その6

《この一帯【=荒川駅周辺】では常時五十人から六十人のバングラディッシュ、パキスタン、フィリッピンの労働者が働いている、といわれます。

 この数年、法務省入国管理局による摘発があり、二年前のケースでは、十四の企業で三十三名の出稼ぎ労働者が摘発されています。》(深田祐介『新東洋事情』63~64ページ)

《ある鞣(なめし)皮工場で働く日本人労働者によれば、この地区【=荒川駅周辺】一帯には、約百人のパキスタン人、バングラデシュ人が働いているという。

 この地区では入管の摘発を過去二回受けており、私がこの街に足を踏み入れた数日前にも摘発を受けたばかりだった。》(佐野眞一『紙の中の黙示録』39ページ)

■類似点その7

《バングラディッシュの一家族の年間生活費は三千タガー、じつに約一万五千円前後ですから、これはたいそうな金です。》(深田祐介『新東洋事情』68~69ページ)

《彼らの日当は七千円。日本人のベテラン工員の三分の二程度だが、ひと月の生活費が一万五千円というバングラデシュの生活を考えあわせれば、破格の給与といっていいかもしれない。》(佐野眞一『紙の中の黙示録』42ページ)

深田氏はバングラデシュ人の「年間生活費」が一万五千円と指摘しているのに対し、なぜか佐野氏は「ひと月の生活費」が一万五千円としている。

■類似点その8

《電話設置台数は一千人あたり六台、ラジオは一千人あたり十二台、テレビは一千人あたり十三台と、【※パキスタンは】バングラディッシュよりはましですが、南西アジアの貧困が改めて身にしみてくる数字です。

 この貧困に加えて、中近東湾岸産油諸国は軒なみ不況で、労働市場が縮小傾向にある。しかし、だからといって南西アジアの労働力がただちに日本を指向することにはなりません。

 彼ら、バングラディッシュ、パキスタンの労働力が日本を指向し始めているのは、即ち日本に入国しやすいからです。

 なぜ日本に入国しやすいか、といえば、日本国政府は一九六一年にパキスタン、一九七三年に独立直後のバングラディッシュと査証免除の協定を結んだ。短期滞在者の査証を受ける手続きを省き、査証料を免除する協定です。》(深田祐介『新東洋事情』73ページ)

《なぜ、アジア人労働者、とりわけパキスタン、バングラデシュ人たちがここにきて急激に増え始めたのか、若干の補足的説明をしておこう。

 第一にあげられるのは、両国のはなはだしい経済的貧困である。バングラデシュのひとりあたりの国民所得を例にとれば、わずか百四十四ドル、日本の一万七千ドルと比べて百分の一以下の水準でしかない。

 第二に、これまで中東産油国に向け大量に流出していた両国の出稼ぎ労働者が産油国の不況により急速にだぶつき始めたことである。ちなみにバングラデシュの失業率は三六・六%にも達している。

 三番目にあげられるのは、日本と両国との査証(ビザ)に関する特別協定である。》(佐野眞一『紙の中の黙示録』36~37ページ)

パキスタンやバングラデシュからやってくる労働者が増えた理由について、両者が挙げている3点はどれも共通だ。ここまで挙げてきた疑惑1~8は、「佐野氏が深田氏の著作にインスパイアされた」という程度であって明確な丸パクリとまでは言えないだろう。だが、次に挙げる疑惑その9はどうか。

■類似点その9

《だから日本の外務当局も日本に近い東南アジア諸国とは、労働力流入を懸念し、慎重にかまえて、査証免除協定を結ばなかったのだけれども、パキスタン、バングラディッシュとは、何の懸念も抱かずいとも簡単に結んだ。》(深田祐介『新東洋事情』74ページ)

《フィリピンなど日本に近い東南アジア諸国とは、労働力流入を懸念して査証免除協定を結ばなかった日本の外務当局も、わが国がまさか近い将来、この両国の出稼ぎの標的国になるとは思わず、いとも簡単に、この協定を結んでしまったのである。》(佐野眞一『紙の中の黙示録』37ページ)

《日本に近い東南アジア諸国とは》《労働力流入を懸念し》《査証免除協定を結ばなかった》《いとも簡単に》という文言が一字残らずきれいに一致している。

■佐野氏のパクリ疑惑を修正せず文庫化する出版社

いかがであろうか。荒川駅周辺や板橋区、都心のカフェ……。佐野氏はまるで、深田氏の取材地点をトレースしながら取材を重ねたかのようだ。あまりにも記述がそっくりな「疑惑その9」については、剽窃(=他人の文章や説を盗み取り、自分のものとして発表すること)、つまりパクリだと言ってもさしつかえないだろう。

柳田邦男氏が《深田委員の作品と同じ話題を同じような文脈で書いたというトラブル》(大宅賞選評)とたしなめたにもかかわらず、この本が文庫化されたとき(2003年8月)、佐野氏は問題の箇所に修正を加えてはいない(『紙の中の黙示録』ちくま文庫、151~169ページ)。『紙の中の黙示録』を文庫化した筑摩書房の担当編集者は、大宅賞選考委員を呆れさせた過去のスキャンダルを知るべきだと思う。

(2012年10月27日脱稿/連載第6回へ続く)

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