イタリア紀行2012システィナ礼拝堂。絵画の力。

今回は茂木健一郎さんのブログ『茂木健一郎 クオリア日記』からご寄稿いただきました。

■イタリア紀行2012 システィナ礼拝堂。絵画の力。

システィナ礼拝堂は、前回バチカンを訪れた際に、サン・ピエトロ広場しか見ることができなかったので、一番残念に思っていた場所だった。ヨハネ・パウロ・2世が立っていらした、その向こうのどこかにシスティナ礼拝堂があるのだと、勝手に想像していると、ますますゆかしく感じられるのである。

想像の中で、礼拝堂は輝かしい様子であった。カトリックの総本山にふさわしい、光に満ちて、それでいて厳かな。精細で、工夫の限りをつくした設いに包まれてある。そんな風に、勝手に想像していた。

しかし、現実に見たシスティナ礼拝堂は、拍子抜けする程簡素なものだった。ただ、壁と天井があり、広々とした空間がある。しかしそこにミケランジェロの絵画が描かれている。有名な『アダムの創造』や、『最後の審判』の図がある。つまりは、絵が主役である。

ローマ法王を選ぶ枢機卿たちの会議「コンクラーベ」が、専らこのシスティナ礼拝堂で行われること一点を見ても、バチカンの中でも最も重要な建物の一つであることには疑いがない。その大切な場所が、このような簡素な設いになっていることに、不思議な感慨があった。

絵画の力とは、何だろう。イエスが、実在した自然人としてのイエスではないように、あるいは神が、アダムが、いつかどこかに存在した具象ではないように(スピノザによれば、神は人格も身体も持たない絶対無限である)、カトリックにおいて重要な意味を持つ宗教画は、すべて、人間の仮想のなせるわざに過ぎない。

人間の基盤や自由に関する抽象的な宗教論ではなく、きわめて鮮明な、世界の始まりと終わりに関するヴィジョンがカトリックの総本山の最も重要な建物の主要な(というよりも唯一の)構成要素となっているという事実から、バチカンの担っている伝統、そしてその存在が美術や社会のあり方に与えた影響について、考えるきっかけをもらったように感じた。

執筆: この記事は茂木健一郎さんのブログ『茂木健一郎 クオリア日記』からご寄稿いただきました。

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