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うしろのパーナさん
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うしろのパーナさん

2013-08-07 20:30
    うしろのパーナさん

    今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

    ■うしろのパーナさん
    こんな事件があったらしい。

    「『パーナさん事件』は現代の口裂け女だ」 2013年07月29日 『九十九式』

    http://type99.net/2013/07/pa-nasan.html

    なんかのイベントが雨で翌日に延期になってしまい、行き場を失った人々の間でデマが錯綜した、と。彼ら(彼女ら?)をパーナさんというらしい。で、上記の記事はネット時代になってこういうことが増えているみたいな論調のようだ。

    でも上記の記事でも述べられているけれど、こういうパニックってむかしからあるよね。身近なところでは事故で電車が動かなくなった時、いろんな情報が口コミで錯綜する。「あと10分待てば動くらしい」「○○線は動いているから、そっちを使った方がいい」「いや、○○線ももう動いていない」などなど。

    結局、情報が不十分だったり、矛盾していると、人間はその限定的な情報をもとに行動するしかないから、推測や憶測を交えてパニックになる。これはネットがないむかしから同じ。

       *   *   *

    むしろネットがあることはパニックの抑止方向に働いていると思うのだよね、俺は。一応公的機関の発表情報は得られるわけで。むろんそれが遅かったり不十分だからパニックが起きるのだが、それすらなかったらもっと混乱は大きいだろう。

    ネットがないと、ラジオや構内放送ぐらいしか公的な情報源がない。で、それがまた「さっき、○○という放送があった」という口コミになって、混乱に拍車をかける。ネットがあれば一応一次ソースを確認(しようと思えば)できる。

    ネットは混乱を可視化しているだけで、混乱そのものには良くし方向に働いているはず。少なくともネットがない場合に比べれば。

       *   *   *

    元記事はネットの情報の拡散速度が脅威だと考えているようだ。はたしてそうだろうか。ネットがないと口コミが届く範囲ごとに、グループができるように思う。たとえば10のグループに分割されて、それぞれの中で不確実な情報によってそれぞれパニックが起きる。

    ネットがあるとそれが大きなひとまとまりのグループになり、全体が一つの不確実な情報によってパニックになる。前者と後者の有害さは後者の方が大きいだろうか?

    一つの考えとして10のグループがそれぞれ独自のパニックを起こした場合、ある程度相殺されるというか平滑されるというか、被害の方向が分散するかもしれない。

    たとえばAグループは「新宿に行けばなんとかなる」と判断し、Bグループは「渋谷にみんな集まっているようだ」という情報に従って行動する。結果的に新宿と渋谷に分散されるから、一つに集中するよりはマシかもしれない。

       *   *   *

    ただネットがある場合に、本当に全体が一つの情報を共有し、ひとまとまりの集団として(間違った)行動をとるか?だよね、ポイントは…。

    ネットという高度な情報伝達があっても、結局人間は10のグループに分かれて行動するかもしれない。つまり10のグループにわかれるのは、情報伝達手段とは別の理由。

    同じ情報を得ても、人間の判断はそれぞれ違う。ひねくれ者もいるし。また人間は結局は危機に際して目の届く範囲の他者と同じ行動をとるかもしれない。周りの人間が新宿を目指すのに、自分だけいくらそれが正しいと確信していても渋谷を目指せるだろうか。

    どこかの大学とかで実験してほしいものだ。

       *   *   *

    結局、ネットがあろうがなかろうが、パニックは起きるのだ。1970年代に「口裂け女」が流行った。ネットがあるいま同じことが起きたらもっと流行するだろうか?確かに伝搬速度は速いかもしれない。しかし一方で情報を俯瞰し、「なんかおかしい(口裂け女は存在しない)」という分析も同じ速度で(ただしワンテンポ遅れて)広まっていくはず。

    「口裂け女」リアルタイム体験世代だが、あの頃は雑誌などジャーナリストでないと情報を統合し分析ができなかった。しかしそういう情報が出てくるのには相当時間がかかる。「とうとううちの町にも口裂け女がきた」と、恐れおののいている子供には間に合わない。

    でもネットがあればそういう分析情報もほぼリアルタイムで入手できるはず。「へへーん、口裂け女なんてデマだってこのサイトに書いてあるぜ」とか、物知り気取りの子供が出てきて、昭和の時代よりも早く騒動は沈静化するように思う。

    ネットはデマを広げる力もあるが、打ち消す力もある。よくデマを防止する手段として「不確実な情報は広めないようにしましょう」と言われる。でも俺はこれは間違いだと思う。人々が情報を渇望している状態で、情報を抑止したら結局は、ネットのない頃と同じで、口コミで広まるだけだ。多少伝搬速度は遅くなるかも知れないが、上述のような「デマを打ち消す力」まで捨て去られてしまう。

    デマは可視化することで分析可能になり、打ち消すことができる。俺はそう思うけどね。可視化されてないデマはむしろ怖いじゃん。

    執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

    寄稿いただいた記事は2013年08月05日時点のものです。

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