~軍部独裁の萌芽は「昭和維新」に
よって生まれた!?』
が起きた日。
取り上げられてきた題材だが、
発生から既に80年を越え、
詳しく知らないという人も多くなったのでは。
今回は2・26事件とは何だったのか、
まずその概要を説明し、事件が後の世に
何を残したのかを明らかにする。
決起将校たちは、政治経済の混迷や
農村地域の大飢饉に怒りを抱き、
「尊皇討奸」「昭和遺臣」をスローガンに、
国家改造を目指したが、
その背景には陸軍内部の
「皇道派」と「統制派」の対立があった。
そして、事件が鎮圧された後には、
決起将校たちが予想もしていなかった
状況が残された。
その後、国の滅亡に結びついていく
「軍の暴走」を許すことになった、
2・26事件の「置き土産」とは?
コメント
コメントを書く軍部大臣現役武官制は復活だったんだ。皇道派を締め出すために。知らないことが多すぎる。
新潟県 竹部正(ハンドルネームはニセただしです)
『軍事トリビア』、今回も大変興味深い内容で、引き込まれました。
歴史とは、こういう事の繰り返しなのでしょうね。良かれと思ってやった事が仇となり、全く逆の方向へ向かってしまう。揺り返しの繰り返し。バランス感覚が大切なんだと改めて思いました。日本の歴史を誰よりも知る天皇陛下は、バランス感覚も、きっと誰よりも優れているのでしょうね。
今回の質問なのですが、統制派は、天皇陛下のことをどのように思っていたのでしょうか。自分達を支持して下さっていると考えていたのか。軍部の台頭・増長をお喜び下さっていると考えていたのか。三国同盟や支那戦線拡大に、陛下は反対でしたよね。それを解った上で強硬して行ったのか。
安倍政権ほど酷くはないと思いますが、自分達が力を増して行く毎に、陛下への気持ちを失って行ってしまったのか。知りたいです。
前回、名前無しの質問者は私です。失礼致しました。
質問への丁寧なご回答、どうもありがとうございました。横山挺は、真珠湾港から南方約7マイル、水深400メートルの所に沈んだままなのですね。引き上げる価値は、あまりないのでしょうかね。
ビラは、武士道精神ではなく、能力の差だったのですね。なんだか自称保守の言葉のようで恥ずかしかったです(笑)。
酒巻少尉は、捕虜収容所でリーダーシップを発揮されていたのですね。あんな、とんでもなく勇敢な戦法を実践される方なので、きっと抜きん出た豪気の方だったのでしょうね。そしてトヨタに勤められ、つい数年前までご存命だったとは。いい話を聞けました。
今回も、楽しい配信をどうもありがとうございました。パンダさんの小さいバージョンのめくり紙が可愛かったです♪ 次回も、期待しております。
軍事トリビア毎回楽しく勉強させて頂いております。
いつもすみません、ふぁんたんです。
私は数年前に放送されていたテレビドラマ「空飛ぶ広報室」が大好きで、稲ぴょん(ガッキー)と空井さん(綾野剛)に毎週キュンキュンしていました。
ドラマの中で戦闘機のパイロットだった空井さんはスカイというニックネームで呼ばれていました。
そこでTACネームというものを知ったのですが、笹さんならご自分でどんなTACネームを付けられますか?
良かったら師範方にもTACネームをつけて差し上げて下さい♪