お前ら!夜道に気をつけろ!!
 


(勝手に)質問が来てた!
夜道ってTwitter(X)に張り付いてるか、ネットサーフィン(死語?)してるイメージがあるけどお前、ネットコンテンツって何見てんの?
といで勝手に答えます。

単刀直入に言うと、「ウィキペディアとかで事件とか見てる」!
これ結構みんなもやってるのでは?

と言いますのも、過去の事件殺人事件とか見て「怖いなー」って読み進めていくと、不思議と教訓を得ることがあったりするんです。
何の教訓を得るのか?

以前からお話しているように、殺人鬼の生い立ちとか見てると「家庭環境だったりとそうなるならざるを得なかった」という部分もあるのかなっていうところを感じるんです。これは以前『ショーシャンクの空に』のときにも話しましたよね。

世の中、インターネットを見てると少年法割引き、とか少年法を無くせっていう風に言うけど、彼らの取り巻く環境が少しでも良かったならば結果は違っていたのかなと思ったりもするのです。この考えに至った話はまたいつかお話してみたいなって思います。

私は物心ついた時、それこそ自分が少年の年齢だった時から少年法をなくせっていう声をぼんやりと眺めて意識しながら生きていました。
じゃあ現在、24歳になるまでの約10年間の間、少年法がどうなったか。無くならなかった。なんでだろうって考えることも結構多いんですよね。

凶悪犯罪である程度大人になってしまうとそれは成人しているわけですから、自分の後始末は自分がするべきなんで仕方がないけれど、それに対して十代の少年の事件っていうのは家庭に守られるべき子供が非行に走ってしまう。
学校で良い教師、良心のある大人に出会えずに良くない道を歩んでしまうということから少年法は自分のやってしまったことが社会にとって良くないことであるということを教える、学習してもらうために必要だと思うんですよ。
子供は自分で行きていくことは不可能なわけで、周りの大人に支えられて成長していく。一番身近な環境である家庭環境に子供が依存してる。依存せざるを得ない。だから親ガチャっていう言葉がある通りまさにそうだと思うんです。
勿論、限度はあるけれど、善悪の区別がつかなかったからそこから先を全て奪ってしまうというのはなんだかなぁと思うんですよね。

親ガチャという言葉で自分の不幸を呪うとか、言い訳にして逃げているとかそういう些細なことではなくて、親の愛というものを凄く私は痛感するときがあるんです。

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じゃあ夜道の親ガチャはどうだったんだ?