全国の農山村を歩いているうち、都市から農山村に移り住む、あるいは都市と農山村を足しげく行き来する若者たちが増えていることに気づいたのは2005年のことだった。年齢を聞くと、その多くが32歳前後(当時)。これをひそかに 「32歳ライン」と名づけ、なぜそうなのかを調べてみた。そして慄然とした。「就職氷河期」という言葉がはじめて世に登場したのが94年。そして日経連 (現経団連)が「新時代の『日本的経営』」「雇用ポートフォリオ」を発表したのが95年。不況で採用数が激減したばかりでなく、派遣・契約・パートなど、 今日問題となっている非正規雇用が急増しはじめた年だった。そのころ大学を卒業した若者たちの一部が、彼らを出し入れ可能で安価なパーツ労働力としか扱わ ない企業社会にではなく、農山村に希望を見出していた。私は大マスコミが「格差社会」「ロストジェネレーション」を騒ぐ前に、農山村に向かった若者たちか ら、都市に残った彼らと同世代の若者の窮状を教えられ、05年8月、『若者はなぜ、農山村に向かうのか』を発行した。

 さて、この「90年代なかば」という時代は、いま起きているさまざまな問題の起点 となっているようだ。たとえば1月のギョーザ事件。日本冷凍食品協会のデータによると、75年ころから伸びてきた業務用生産量は97年をピークに以降暫減 傾向となっており、かわってこのころから家庭用生産が伸びている。それと同時期に伸びてきたのが事件のギョーザのような「調理冷凍食品」で、その主要な生 産国が中国だ。

 農山村に向かった若者のひとりであり、有機農園も併設する熊本の病院で管理栄養士として働く女性(35歳)から、こんなメールが届いた。
「95年、私は大学1年で、スーパーでアルバイトをしていました。当時、冷凍食品というと、お弁当の定番のおかずの座をすでに獲得していましたが、お惣菜 まで冷凍食品を使うという感覚はあまりなかったように思います。冷凍食品が飛躍的に売れるようになったのは、ドラッグストアが薬屋ではなく、『食品を扱っ ていて、かたわらで薬も売る』という形態になり、毎日『4割引』で売られるようになってからではないかと思います」