今回の<その2>では、「食育」の必要性を訴えた結果そのしわ寄せが学校にきてしまった、という一例が紹介されています。私たちが食べ物について意識する場所は、果たして教育現場だけなのでしょうか。今回のテーマは食育の「現場」はどこにあるかです。

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結城登美雄の食の歳時記<食育編・その2>
大事なのは子どもより大人の食育

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「なぜ今、食育なのか」という疑問を持たれている方もいらっしゃるとおもいます。そもそも「食育って一体何だろうか」という方もいらっしゃると思います。政府の食品安全員委員会から資料をいただきました。それによると食育についての意味は2つあります。食は生きる上での基本であって、知育、徳育、体育の基礎となるものであるということ。今まで教育とは知育、徳育、体育と言われてきましたが、その元に食育を据え付けるようであります。もう1つはさまざまな経験を通じて食に関する知識と食を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てることが食育だといわれています。

でもこれだけ見ると、現代のわれわれは食に関する知識もなければ食べ物を的確に選びとっていく力も衰えている、それでは健全な食生活が営めないから国民を揚げて、食についての勉強、学びましょうというようなことのようです。本来個人の自由だと思っていた食べ物に国や自治体やいろんな団体や学校が入ってくる。そんな時代、ちょっと変だなという気もしなくなくはないのですが、それがなぜ必要かという背景について、あるいは食育が必要とされる裏付けとして政府はこんなふうにいっています。(※無料ここまで517文字/2,235文字中