大正から昭和初期の日本は現代のアメリカと瓜二つであった。企業は簡単に社員を解雇し労働者も頻繁に職を変える。つまり労働力はアメリカ並みに流動化していた。一方、株主の力もアメリカ並みに強く、株主は経営者に高い株価と配当を求めた。企業が銀行からの借り入れに頼らず、株式市場から資金調達を行っていたからである。
そのため経営者は目先の利益を追求する事が第一で、それが出来なければすぐに首を切られた。株主は目的に適う経営者を社外から送り込み、企業には終身雇用制も年功序列賃金もなかった。日本は不労所得を占有する一部富裕層と職を転々とする勤労層とに分かれ、誰も貯蓄などせず、金はもっぱら消費につぎ込まれた。当時のGDPに占める消費の割合は8割を超えたと言われ、日本はアメリカと同様の消費大国であった。さらに官僚が経済に介入する事もなく日本は市場原理の国だったのである。
この経済構造を大きく変えたのが岸信介らの「革新官僚」と軍部である。1929年の大恐慌で失業と貧困と飢餓が世界に蔓延し、各国が保護主義に走った時、資源のない日本は自給自足体制を目指す必要に迫られた。この時に軍部や「革新官僚」が目を付けたのが大恐慌の影響を受けなかったソ連の計画経済である。彼らは金融、財政、労働の三分野にわたる抜本的な改革に取り組んだ。
出来上がったのが「1940年体制」と呼ばれる経済構造である。利潤追求に走る株主の力を抑え、企業を経営者と従業員の手に取り戻すところに眼目があった。企業の資金調達を株式市場から銀行融資に転換させ、メインバンク制によって銀行が企業を管理し、さらに銀行を大蔵省の管理下に入れて、国家が企業を間接的にコントロールできるようにした。
経営者を社内から昇進させ、終身雇用制と年功序列賃金を導入して従業員に企業との一体感を植え付けた。産業別であった労働組合も企業別に振り分けられ、株主の支配権を削ぐ方法として配当の制限や企業同士による株の持ち合いが進められた。こうして企業利益は株主よりも、設備投資や従業員の給与と賞与、また経営者の報酬に振り向けられるようになる。また経営者と従業員には様々な福祉制度が導入され、健康保険制度や労働者年金制度が出来上がった。そして政府は国民に「貯蓄奨励」を呼びかけ、日本は消費大国から貯蓄大国へと変貌を遂げたのである。
この「1940年体制」は日本が戦争を遂行するための経済体制だったが、それが威力を発揮したのは戦時下ではなく、敗戦後の冷戦時代においてであった。アメリカが「反共の防波堤」として日本を利用するのに乗じ、日本は官僚を司令塔とし、それに自民党と経済界が協力する「輸出主導型」の「戦時経済体制」を展開したのである。
戦時下の兵隊に代わる「企業戦士」が世界を駆け回って製品輸出に力を入れ、その成果は瞬くうちにアメリカを恐怖させるほどの経済成長を成し遂げた。しかもその成長は国民の格差を極小化する中で実現した。社員の初任給と社長の給与との差が10倍程度しかなかった日本の賃金体系は、中国やソ連に「社会主義の理想」と言わしめたほどである。
その結果、日本は1985年に世界一の金貸し国となり、アメリカは世界一の借金国に転落した。第二次大戦の勝者と敗者が40年を経て入れ替わったのである。日本は軍事でアメリカに負け、しかし経済でアメリカに勝利した。アメリカは屈辱を晴らすことを心に誓う。
アメリカは1945年に武装解除した日本を今度は経済で武装解除する必要に迫られた。冷戦末期にアメリカ議会が議論していたのはソ連ではなく日本の解体についてである。アメリカは日本の経済力の強さの秘密を徹底的に分析した。その秘密こそ戦前に岸信介らによって作られた「1940年体制」であった。「1940年体制」にルーツを持つ日本型資本主義の解体がアメリカの課題となった。
「アメリカの逆襲」は1980年代半ばから始まった。中曽根政権以降、歴代政権はアメリカの脅しに屈服し、プラザ合意による為替政策、その後の超低金利政策など次々にアメリカの要求を飲まされ、「構造協議」や「年次改革要望書」ではまさに「1940年体制」によって生み出された日本型資本主義の解体が露骨に進められた。それに最も迎合したのが小泉政権だが、アベノミクスはその再現に過ぎない。
株式市場に国民の目を引き付け、貯蓄よりも投資を奨励し、労働力の流動化が成長戦略の柱と言われるなど、あたかも昭和初期の日本を再現する事が日本の進むべき針路だと言わんばかりである。アメリカは表では日本の産業政策や規制政策を批判するが、腹の中では一目も二目も置いて日本のやり方を評価している。だから日本がアメリカの言いなりに日本型資本主義を解体する様を馬鹿にしながら眺めている。
このところ安倍政権の歴史認識が問題にされているが、敗戦国がアンフェアな立場に置かれる事は国連安保理を見るまでもなく厳然とした事実である。それに異を唱えるだけでは子供じみた反発に過ぎない。失地回復は戦略的に図っていかなければならないのだが、戦後の高度成長を実現させた日本型資本主義を容易に解体させられていく様は、失地回復への逆行としか私には見えない。岸信介らが作り上げた構造を孫が裏切る構図のどこに希望があるのか、アベノミクスをもてはやす連中の歴史認識がまっとうであるとは到底思えない。
■5月《癸巳田中塾》のお知らせ
田中良紹さんが講師をつとめる「癸巳田中塾」が、5月29日(水)に開催されます!田中良紹さんによる「政治の読み方・同時進行編」を、美味しいお酒と共に。ぜひ、奮ってご参加下さい!
【日時】
2013年 5月29日(水) 19時〜 (開場18時30分)
【会場】
第1部:スター貸会議室 四谷第1(19時〜21時)
東京都新宿区四谷1-8-6 ホリナカビル 302号室
http://www.kaigishitsu.jp/room_yotsuya.shtml
※第1部終了後、田中良紹塾長も交えて近隣の居酒屋で懇親会を行います。
【参加費】
第1部:1500円
※セミナー形式。19時〜21時まで。
懇親会:4000円程度
※近隣の居酒屋で田中塾長を交えて行います。
【アクセス】
JR中央線・総武線「四谷駅」四谷口 徒歩1分
東京メトロ「四ツ谷駅」徒歩1分
【申し込み方法】
下記URLから必要事項にご記入の上、記入欄に「年齢・ご職業・TEL」を明記してお申し込み下さい。21時以降の第2部に参加ご希望の方は、お申し込みの際に「第2部参加希望」とお伝え下さい。
http://www.the-journal.jp/t_inquiry.php
(記入に不足がある場合、正しく受け付けることができない場合がありますので、ご注意下さい)
【関連記事】
■田中良紹:何が「国益」か(5.10)
http://ch.nicovideo.jp/ch711/blomaga/ar224592
■田中良紹『国会探検』 過去記事一覧
http://ch.nicovideo.jp/search/国会探検?type=article
<田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
1945年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史」(2005/講談社)「裏支配─いま明かされる田中角栄の真実」(2005/講談社)など。
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田中塾で常にお話になっておられる日本をどちらの方向に持っていこうとするのか。ヨーロッパ型なのか、アメリカ型なのか、に尽きるのではないか。政治の基本理念であるべきであるし、国民の総意に基づいて方向付けしなければならない問題でもある。今の金融緩和は、どんなきれいごとを言っても、もてるものが何の苦労をしなくても、自動的にお金が増えるシステムを支援しているとしかいえない。私個人で言うと、海外債券を多少保有し、株をしていると、昨年11月からの資産増加はうれしいのを通り越して、これでいいのかなと、自問自答しています。個人でさえこのような状況であり、トヨタなど輸出をする企業の利益はとてつもなく大きい。企業に働く人々も恩恵を受ける人もいれば、輸入を多くする企業とか、中小企業には恩恵が及んでいるとは思えない。島国で単一民族である日本が、大陸で他民族のアメリカと同じことを進めてよいのか、真剣に考えなければいけないのに、マスコミのこと信頼性にはかけるが、70%を超える国民が、アベノミクスを支持しているのは、全く理解できないことです。
「輸出主導型」の定義がよくわかりませんが、日本の輸出額対GDP比率は高度成長期から10%程度でした。近年でも10~15%程度です。また、日本は1950年から1964年まで毎年貿易赤字でした。その後も黒字になったり赤字になったりしながら1981年以降黒字が続くようになりました。この数字を見る限り、「輸出主導型」とは言えないのではないでしょうか。「輸出主導型」という言葉の意味の定義をお願いします。
日本の輸出対GDP比率、輸入対GDP比率推移 1955年-1991年
http://members3.jcom.home.ne.jp/takaaki.mitsuhashi/data_20.html#Kodoseicho
輸出入総額の推移
http://www.customs.go.jp/toukei/suii/html/nenbet.htm
今のところアベノミクスの金融緩和は戦前にデフレから脱却するときの金融緩和と同じ効果を挙げています。
戦前の場合、1931年12月の金本位制離脱宣言、1932年11月の国債日銀引き受けによって予想インフレ率が上昇しました。予想インフレ率上昇の影響は資産市場に波及し、為替は円安にふれ、株価が上昇を始めました。そして、1932年後半から物価が上昇に転じました。ちなみに、この頃アメリカでは失業率が1929年の3%から1933年の25%へと上昇している最中であり、さらにこの間にGDPが40%も減少しています。今回の円安、株高について田中さんは欧米の景気回復によるものだと仰っていますが、過去の事例を見ると日本の金融政策などの方針転換の影響は無視できるものではないと思います。
現在は2012年2月に日銀がインフレ目標政策のようなものを始めたことや2013年4月に欧米と同様のインフレ目標政策を始めたことなどの影響で、2013年4月現在、予想インフレ率が1.6%まで上昇し、円安が進み、株価が上昇しています。(http://www.bb.jbts.co.jp/marketdata/marketdata05.html)。
外国為替市場や株式市場などの資産市場に変化が表れるとそれが徐々に実体経済に波及します。バブルが崩壊したとき、株価が1989年12月、地価が1991年9月をピークに下落に転じましたが、大卒求人倍率は1991年3月卒がピークで(http://www.rsq.jp/info/recruting-news/2235.html)、1990年の実質GDP成長率は1989年とほぼ同じで5.57%(http://ecodb.net/country/JP/imf_growth.html)、失業率は1990年から1992年まで横ばいでした(http://ecodb.net/country/JP/imf_persons.html#lur)。
現在は資産市場の変化が実体経済に波及している最中です。
インフレということは需要に対して供給が足りないということなので、借金をして設備投資をしてモノやサービスの供給を増やせば、確実に儲かります。また、インフレになると予想実質金利が下がるので借金をして投資をしやすくなります。そして、供給を増やすためには人を雇う必要がある(少なくとも短期的には)ので失業率が下がります。実際、日本の失業率とインフレ率は負の相関関係にあります(http://members3.jcom.home.ne.jp/takaaki.mitsuhashi/data_40.html#Filipps2)。ただし、解雇規制緩和やTPPなどによって、このきれいな負の相関関係が崩れてしまう可能性があると思っています。
格差を解消するために失業率を下げるということが大事なことのひとつだと思いますが、失業率を下げるためにもデフレから脱却する必要があります。
また所得再分配によって格差を是正することができますが、今はデフレなので税収の源である名目GDPが増えず、仮に税率を上げたとしても景気の悪化によって税収は増えません。税収を増やすためにもデフレから脱却する必要があります。
田中さんはアベノミクスで格差が拡大すると仰っていますが、格差を是正するためにも財政出動とインフレ目標政策による内需主導のデフレ脱却は重要なことだと言えます。