初等教育の授業のような話で恐縮だが、ヨーロッパに「議会」や「憲法」が生まれたのは13世紀と言われる。それは民主主義のため、すなわち国民主権のためではない。当時は国家も国民も存在しなかった。武力で他を圧する王様が家来である封建領主から税金を徴収するために「議会」を作り、税金の取られ過ぎを防ぐために封建領主たちが王様の権力を縛る契約を結んだ。その契約が「憲法」である。
そして「多数決」の由来は、全員一致の原則で物事を決めてきたヨーロッパ社会の中で、いつまでも結論が出ないのは困るとローマ教会が12世紀に多数決の方法を取り入れ、それが税金の徴収を決める議会にも取り入れられた。そして多数決で決まったことが正しいのではなく、「一応の総意とみなす」という便宜的な約束事というのが当時からの解釈である。
やがて国民国家が生まれ、階級や身分、財産、男女の別なく選挙で国民の代表を選べるようになった。民主主義が本格化するのは欧米が20世紀に入ってから、日本では戦後の話である。税金を納める国民が国家の主役となり、国会に代表を送り出し、「国民の奉仕者」である官僚を監視するようになった。
民主主義では「憲法」は国家権力を縛るが国民を縛るものではない。大音量で右翼が街宣しても市民がデモをしても憲法違反にはならない。しかしそれを国家権力が弾圧すれば憲法違反になる。しかし民主主義の日が浅いためかこうした理解には勘違いが多い。
これまで自民党は多数決で決めない事を党の基本方針にしてきた。部会や総務会では当選回数や年齢に関係なく誰でもが自由に発言して侃侃諤諤の議論をする。しかしいつまでも議論を続けるわけにはいかないので最後は部会長や総務会長に一任する。一任された者は全員の意見を考慮して最も不満が少ないと思われる結論を出す。それで全員が納得する。
このやり方が非民主主義的であるかと言えばそんなことはない。民主主義の基本は「少数意見の尊重」にあり、少数意見を十分に聞いて結論を出す方が、多数意見を強行するより民主主義的である。だから小泉総理が郵政民営化を巡り総務会で初めて多数決を採用した時、党内から「民主主義の破壊」、「独裁政治」という反発が出た。
英国は日本と同じ議院内閣制で、しかもマニフェスト選挙を行う国である。国民は選挙で議員個人を選ぶのではなく、政党のマニフェスト、すなわち政策を選ぶ。その結果、国民の支持で過半数を得た政党が内閣を組織する。多数決原理に従えばその政党の政策はすべて実現されることになる。それなら議会を開いて議論する必要はない。
ところが英国議会は第一読会、第二読会を開いて法案の修正を行う。つまり国民の過半数が政策を選んでも、それが正しいとは限らないからである。議会では野党の意見を聞き、より良い法案にするために議論が行われる。これが民主主義の政治である。
アメリカは政策よりも議員個人を選ぶ選挙をする。地域の代表になるための資質が問われる。そのため議員に党議拘束はかからない。共和党議員が民主党の政策に賛成しても選挙区の有権者から支持されれば問題はない。だから議席の数であらかじめ法案の成立が見通せることはない。国民は議員が何に賛成するかを見て次の選挙の判断材料にする。これも国民が主役の政治である。
ところが読売新聞の政治部次長が展開した論理はこうした考えとまるで異なる。「法案が衆参両院の過半数の賛成で成立する事は日本国憲法が定めている」として、まず多数決を「憲法」が認めているから正しいと言うのである。そして自公にみんなと維新を合わせれば三分の二の「国民の代表者」たちが賛成しているとして、三分の一以下の少数者の言う通りにするのは「憲法の規定を無視せよ」と言うに等しいと主張する。
安倍政権は日本版NSCと特定秘密保護法案をセットで成立させる事を国民に問いかけて選挙に勝利した訳ではない。仮にそれを問いかけて勝利したとしても衆議院選挙の自民党の得票率は4割程度、参議院選挙の得票率は3割程度である。議席数と国民の「総意」との間には大きなギャップがある。そして世論調査によれば多くの国民が慎重審議を求め、法案に不安を感じているのである。
自公政権はそれを無視して法案の採決を強行した。その動きに反対した事を読売新聞は「民主主義の破壊」と主張した。私は議会制民主主義は死滅したと感じたが、全く逆の話である。特別委員会の審議を見て強く感じたのは、政府が質問にまともに答えない姿勢である。紙に書いた同じ答弁を繰り返す不誠実さと、成立させた後でいろいろな措置を講じますという国会無視の答弁が繰り返された。
読売新聞はアメリカのNSCとは似て非なる組織が日本の安全保障を担いうると本気で考えているのだろうか。しかし政治部次長の民主主義に対する理解がこの程度であるから、日本の安全保障に関する理解もその程度なのだろう。日本版NSCと同じで新聞社「の・ようなもの」が読売新聞という事になる。
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■田中良紹『国会探検』 過去記事一覧
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<田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
1945年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史」(2005/講談社)「裏支配─いま明かされる田中角栄の真実」(2005/講談社)など。
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少数意見を浮かび上がらせ、多数派との間で合意を形成するための説得が続けられるのが、まともな民主主義の在り方だと思います。多数決でゴリ押し出来ないねじれ状態が今夏まで問題とされていましたが、与党・野党双方が合意に向けて妥協しなければならないという点で、野党にその自覚さえ伴えば、「まとも」な民主主義の状態であったとの見方もできます。
「決められない政治」への処方箋として首相権力の強化やねじれ解消が叫ばれるにつれて、党内反対派や野党との合意形成が軽んじられてきているのではないかと思うと不安です。昨年の「民自公三党合意」という歴史的な先例に倣うような形で、特定秘密保護法案の部分修正合意が成功して欲しかった。自公維み修正合意は名ばかりです。
お話の通りであり、読売だけでなく、産経、日経の社説などは、体制に準じることことが、民主主義であると曲解した傾向が多く見られます。お仕着せ憲法といって否定するかと思えば、そのときによっては、憲法に従うことが民主主義というご都合主義の憲法観は、大新聞が読者に提示する法解釈が恣意的なものに過ぎないことを自白しているといえます。
憲法の理念は主権在民で、行政、国会、司法などが遵守しなければならない規律を謳っており、国民を支配することを是認したものではない。多数決の原理に異論を唱えることが、即、憲法の理念に背く民主主義の破壊行為と断じるマスコミは、政府体制と国民をつなぐ役割を持つ使命感を忘れた政府広報機関に堕落しているといえるのではないか。
少数意見を大切にしない社会は、言論封鎖社会につながりかねず、少数な集団、特に障害者など弱者が切り捨てられていく社会につながりかねない。弱者をいかに守っていくかが、主権在民の民主主義社会に与えられた責務であることを忘れた傲慢さは社説を書く資格が無い人とも言える。