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田原総一朗:改憲ではない、「解釈」を変えるだけで、「できない」を「できる」にしたい安倍政権
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田原総一朗:改憲ではない、「解釈」を変えるだけで、「できない」を「できる」にしたい安倍政権

2014-04-24 07:00
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ここのところ、「集団的自衛権」に関するニュースが増えている。集団的自衛権とは、同盟国などが攻撃されたとき、その国と協力して攻撃できる権利だ。具体的にいえば、アメリカがある国(A国)から攻撃されたときに、日本がアメリカを支援して、ともにA国と戦える権利、ということだ。この集団的自衛権の行使容認へと安倍政権が動いている、として論争になっているのだ。

集団的自衛権は、日本国憲法では認められない。戦後一貫して、そう解釈されてきた。明確な「違憲」ではないが、憲法の解釈として認められてこなかったのだ。逆をいえば、「改憲」をしなくても、解釈を変えれば集団的自衛権を行使できるようになるわけだ。

この解釈をするのは内閣法制局という機関である。集団的自衛権の行使容認をめざす安倍首相は、だからまず内閣法制局の長官を、「容認派」の小松一郎氏に代えた。あとは閣議決定さえできれば、日本は集団的自衛権を行使できる国になるのだ。

この変更は日本という国のあり方を、大きく変えるはずである。それにもかかわらず、閣議決定だけで決めていいのか。

むろん、このように考えるのは僕だけではない。与党である公明党も慎重姿勢だ。それに対して、集団的自衛権を限定的に行使できるという、「限定容認論」というものが出てきた。そう提唱するのが、自民党副総裁の高村正彦さんだ。

この場合の限定条件とは、「日本の安全保障に直接関係がある場合」というものだ。では、具体的にどういう場合なのか。例えば、北朝鮮と韓国が戦うことになる。アメリカは当然、韓国の側につくだろう。そのとき、日本はアメリカの援護をしてよいかどうかだが、これは北朝鮮とわが国の関係を考えれば、「限定」の条件にあてはまる。つまり、集団的自衛権を行使できるということになるのだ。

では、中東でイスラエルとイランが戦争になった場合を考えてみよう。中東は地理的には遠い。だが、もしホルムズ海峡が封鎖されたりすれば、中東から輸入している原油が、すべてストップしてしまい、日本は大混乱に陥る。アメリカは当然イスラエルを援護する。日本は、アメリカとともに戦うべきなのか。たいへん難しい問題だ。

だからこそこの問題は、閣議決定ではなく、国会で議論されるべきだと、僕は考える。いや、タウンミーティングのような形で、国民をまじえてとことん議論すべき問題だ、とも僕は思っている。

そうなると、もちろん反対意見も多数出てくるから、安倍首相にとっては非常に煩わしいことだろう。だからといって、さっさと閣議決定をしてしまえばいい、というのは間違いである。政治というのは、反対が出るのを面倒がってはいけないのだ。

もう一度、声を大にしていいたい。集団的自衛権を行使できる国になるということは、日本という国の形が大きく変わることだ。安易に決めるべきことではないのだ。

この問題を、国会はもっと徹底的に議論をすべきである。そして僕もまた、どんどん政治家にこの問題について斬り込んでいくつもりだ。


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〈田原総一朗(たはら・そういちろう )プロフィール〉
1934年、滋賀県生まれ。60年、岩波映画製作所入社、64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。現在、早稲田大学特命教授として大学院で講義をするほか、「大隈塾」塾頭も務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。また、『日本の戦争』(小学
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学校教育の影響であり、また、学校生活の影響であろうが、全体のルールに逆らえば徹底的なイジメにあってしまう排除の論理が働いてしまう。ただ、ルールに反しないことであれば何をやってもいいことになる。全体主義のルールに逆らわなければ、個人の自由は無限に認められているといえる。この考え方を生き方の基本にしているため、一握りの独裁的考え方を持った人に、ナショナリズムの論理を国家の方向づけにされても、国民的反対の声が上がらない、今、不思議な社会が現出しつつあります。書店に行くと、漫画の陳列棚がどんどん広がり、通常の書物がどんどん減っているので、なぜかと見ていたら、学生の4割がスマホなどにのめり込み、全然本を読まないのです。漫画の世界は物事を簡単に理解でき、手っ取り早い知識の吸収にはなるが、普通の本を読みいろいろ自分で世界を描くという創造的豊かさが無くなってしまう。物事を深く考えないようになるから、憲法などとても理解できないのでしょう。否、理解できないというより指導者が知っていればよいと考えているのでしょう。
国家は本来優しくなく厳しいものであり、個人を抹殺しかねない激しさを内在していることを知るためには、過去、現在、未来を綜観的に見なければならないので、一部の人に与えられた特権であり、そのような知恵のある人にしか未来が開けないということなのでしょう。

No.1 128ヶ月前

 田原さんの論旨に賛同します。
本来民主主義とは様々な人が様々な意見を述べ合い、その上で多数の人々が「納得」できる結論を決定して物事を進めていく事だと理解しています。
 乱暴な言い方かもしれませんがそこに参加する人々の「知性・知識」は条件にないのです。そのためしばしば不合理な結論が導き出されることはあるものの、概ね理性的な結論で歴史は進んできたように思います。
 その意味では集団的自衛権の問題は賛成派も反対派も等しく相手を納得させるべく議論をするべきでしょう。周辺諸国との関係やアメリカとの関係がぎくしゃくしている今の時期であればなおのこと「民主主義」を貫くべきです。
 よく会社組織に例えている方もいますが、営利企業(あまり好きな言い方ではないが)でも方針を決める前に経営陣だけでなく担当部署や関係者内で徹底して議論し、「納得して」経営陣に決断を委ねているのです。一部の人間だけで決め、進める「独裁」ではないことを理解すべきでしょう。
上記のyounghopeさんのコメントの通り、残念ながら今の日本は民主主義ではなく「賢人政治」を志向しているように見受けられますが古代ギリシア・スパルタの「賢人政治」からドイツ帝国の「官僚主導型啓蒙主義」に至るまで一部の人々だけで進める政治は長続きしていません。現時点での例外はわが日本の「昭和16年体制」かもしれませんが。

No.2 128ヶ月前
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