この新聞社は以前にも特定秘密保護法が強行可決された際、政治部次長が「民主主義は多数決」と民主主義のミの字も知らない恥さらしの解説を行ったが、またまた性懲りもなく歴史の無知をさらけ出した。「バカでなければ新聞記者にはなれない」というブログを書いた事があるが、この新聞社はその見本である。
政治部長は「吉田茂ならどうする」で、「吉田茂こそ憲法9条解釈を大転換させた先駆者である」と書いている。同じことを自民党の高村副総裁も会見で語っているから、集団的自衛権の行使容認を憲法解釈で行おうとする勢力の中に「吉田茂先駆者論」が共通認識になっているのだろう。しかしそれがどれほど愚かであるかをこれから説明する。
読売の記事を引用する。「1946年の憲法制定会議で、当時首相の吉田は9条について『自衛権の発動としての戦争を放棄した』と明言した。だが、50年に朝鮮戦争が勃発すると『主権国家が自衛権を持つのは当然』と大胆に主張を変え、警察予備隊、保安隊を経て、54年に自衛隊を創設。51年のサンフランシスコ平和条約の締結の際は、日米安保条約も結んだ」。
いかにも吉田茂が自主的判断で解釈を変更したという書きぶりである。しかし戦後の日本は1952年まで主権がなかった。吉田茂は自主的判断で憲法解釈を変更する事など許されなかった。読売の記事はアメリカ占領下の出来事と書かず、その歴史的事実を隠蔽し、むしろ日本の歴史を歪曲する意図を明白にした。
私は日本の学者、評論家、ジャーナリストを概ね信用しない。寄らば大樹の陰で、国家権力やアメリカの言いなりになる(腑抜け)が大勢いる事を知っているからである。特にテレビに出る人間は信用出来ない。テレビ・ディレクターをしていた頃、本当に出て欲しい人には出てもらえず、出たがるのは四流の人間ばかりという情けない実態があった。
しかもこの国は特定秘密保護法や日本版NSCで分かるように、アメリカと違い情報を隠蔽し棺桶の中にまで持って行く国である。戦後史を検証するには、国内で言われている事など糞の役にも立たず、アメリカの公文書などを参考にしないと判断を誤る。その意味で吉田茂が何をしてきたか、アメリカ側の資料から説き起こしたマイケル・シャラー著『「日米関係」とは何だったのか』(草思社)をベースに戦後史を読み解いてみる。
日本は「無条件降伏」をした。「無条件」とはすべて戦勝国の言いなりになる事である。東京裁判は一方的でおかしいと文句を言う人々がいるが、それなら「無条件降伏」をせずに「一億玉砕」すればよかった。戦争に正義などあるはずがない。無条件降伏をした国は言いなりになるしかないのが現実である。勇気を持ってその現実を受け止め、そこから失地回復を目指し、次の戦いで勝利する事を考えるのが敗戦国の政治である。
アメリカ占領軍は日本の軍国主義を徹底的に解体する事を目的にした。そのために平和憲法を作った。46年に吉田はそれを受け入れた。ところが50年に朝鮮戦争が勃発すると、アメリカの政策は大転換する。軍国主義解体をやめ、日本を再武装させてアメリカの手先に利用する方向に転換した。しかし追放した旧軍関係者をそのまま戻すのでは問題になる。そこでマッカーサーは吉田に7万5千人の警察予備隊の創設を命じ、それを吉田は受け入れた。
吉田が憲法解釈を転換したのではない。吉田はアメリカの命令のまま動いただけである。しかし吉田はただの(腑抜け)ではなかった。アメリカが警察予備隊を30万規模に増強するよう命令してきた時、その要求を受け入れなかった。朝鮮戦争によって日本経済は甦ったが、甦った経済に負担を与える規模の軍備増強には応じなかった。
そのための口実に使われたのが、国民の平和志向、経済の脆弱性と共に平和憲法の制約である。吉田はアメリカが作った憲法を盾にアメリカの要求をかわした。目的は軍事で敗北した国が経済で勝利する路線を確立するためである。
一方のアメリカは、日本が中国やソ連に接近するとアメリカは利益を失うという怖れを抱いていた。アメリカにそう思わせるように動く事も重要であった。そしてアメリカは日本の軍備増強より経済拡大の方針を優先させたのである。日本製品を東南アジアに輸出できるよう東南アジアの共産化を防ぐことがアメリカの使命となった。「大東亜共栄圏」を日本のためにアメリカが作ることになった。それがベトナム戦争にアメリカが引きずり込まれた要因だとアメリカは分析している。
朝鮮戦争とベトナム戦争で日本経済は完全に甦った。逆にアメリカ経済は双子の赤字に悩むようになり、80年代には日本が世界最大の債権国に、アメリカが世界最大の債務国になった。敗戦国日本は戦後40年でアメリカに経済で勝利した。冷戦で勝利した国はアメリカではなく日本とドイツだとワシントンで言われるのはそのためである。
外交官であった吉田は46年に「戦争に負けても外交で勝った歴史がある」と友人に述べたという。それを吉田は目指して実現した。そのためアメリカに従属しているように見せてアメリカの弱みを探り、アメリカ一辺倒ではない外交を追求した。安倍総理の祖父である岸信介も同様である。アメリカに防衛義務は負わせるが、アメリカのために戦争はしない。集団的自衛権を米軍に基地を提供する事と経済支援だけに限定した。
アメリカが軍国主義解体から再軍備へと政策を大転換させてからの方針は一貫している。日本の軍事力を強化し、しかしそれを自立ではなくアメリカの手先に使う方向に導く事である。
イギリスの歴史学者クリストファー・ソーンの『太平洋戦争とは何だったのか』(草思社)は、日本と戦った英米には「黄色いサル」に対する人種的偏見があった事を指摘している。黄色いサルの戦争は黄色いサル同士でやらせようとする考えが、集団的自衛権の行使を要求するアメリカの背景にあるかもしれない。吉田茂ならそうした要求をかわす外交術を発揮したに違いない。
■《甲午田中塾》のお知らせ(5月28日 19時〜)
田中良紹塾長が主宰する《甲午田中塾》が、5月28日(水)に開催されることになりました。詳細は下記の通りとなりますので、ぜひご参加下さい!
【日時】
2014年 5月28日(水) 19時〜 (開場18時30分)
【会場】
第1部:スター貸会議室 四谷第1(19時〜21時)
東京都新宿区四谷1-8-6 ホリナカビル 302号室
http://www.kaigishitsu.jp/room_yotsuya.shtml
※第1部終了後、田中良紹塾長も交えて近隣の居酒屋で懇親会を行います。
【参加費】
第1部:1500円
※セミナー形式。19時〜21時まで。
懇親会:4000円程度
※近隣の居酒屋で田中塾長を交えて行います。
【アクセス】
JR中央線・総武線「四谷駅」四谷口 徒歩1分
東京メトロ「四ツ谷駅」徒歩1分
【申し込み方法】
下記URLから必要事項にご記入の上、お申し込み下さい。21時以降の第2部に参加ご希望の方は、お申し込みの際に「第2部参加希望」とお伝え下さい。
http://bit.ly/129Kwbp
(記入に不足がある場合、正しく受け付けることができない場合がありますので、ご注意下さい)
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■田中良紹『国会探検』 過去記事一覧
http://ch.nicovideo.jp/search/国会探検?type=article
<田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
1945 年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史」(2005/講談社)「裏支配─いま明かされる田中角栄の真実」(2005/講談社)など。
コメント
コメントを書く子供の時から読みなれた新聞を惰性で購読し、読み慣れた新聞の思考思想に飼い馴らされていきます。そのような悪い面は隠されて、良い方面、すなわち新聞を読んでいることが一つのステータスになったり、新聞の社説を読むことによって、入学試験対策ができるなどのメリットが説かれたりしていました。これだけ多くの人が新聞を読めば、体制にとっては、体制の都合のよい考えを持った人間を養成するシステムにもなっています。
システムが行き過ぎると、民主主義とまったく相反するやり方で、民主主義のルールに則って決めれば、民主主義が行われているのであり、異議をいうのは民主主義に反するなどととんでもない論説を張った内容のことを思い出しています。
多数決の原理は、民主主義国でも、共産主義国でも、独裁主義国でも、皆の意見を確認するために行われる儀式に過ぎないのに、多数決は民主主義のルールなどといった話だったと記憶しています。
この新聞は体制批判を一切封印しないと読めない新聞であるが、一番多く読まれているという。読むのはいいことであるが、はてな、それでいいのかなという当たり前の疑問が出てくる雰囲気は、どうしたらできるのでしょうか。特定秘密保護法などというように、言論の自由を奪いかねない法律を80%に近い国民が反対したのに、民主党を含めた国会議員が決めてしまった。自民党だけでなく、野党も国民から遊離すれば、大きなうねりが出てきて不思議ではないが、大きなうねりが感じられない。今後の経済状況によっては、国民的爆発が起きるのかもしれない。