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沖縄県の翁長雄志知事がついに日米両政府に対して公然と反旗を翻した。沖縄防衛局に対して辺野古の「海底面の現状を変更する行為」を停止するよう指示し、従わない場合は海を埋め立てて海兵隊基地を建設するに不可欠の「岩礁破壊許可」を取り消す考えを明らかにした。そしてその際に同知事は、それでも国が工事を強行すれば「日本の民主主義が問われる」と述べた。それに対して菅義偉官房長官は「手続きに瑕疵はない。法律、法令、規則に従って実施しているので引き続き工事を進めたい。日本は法治国家だ」と言い放った。
この問題を原理的なところから考える場合、キーワードは「自己決定権」である。昨年9月のスコットランドの独立住民投票を受けて、琉球新報は同20日付社説で「この地域の将来像を決める権利を持つのは言うまでもなくその住民だけである。……沖縄もこの経験に深く学び、自己決定権確立につなげた」と書いた。そして11月、翁長圧勝を伝えた同17日付社説では、約10万票の大差は「県民が『沖縄のことは沖縄が決める』との自己決定権を行使し、辺野古移設拒否を政府に突き付けた」と述べた。
私は、「主権在民」と謳い、民が主であるはずの「民主主義」の国では、個人だけでなく家族、共同体、地域が自分たちの命や生き方や暮らしぶりに関わる大切なことは自分たちで決めるのが当たり前で、それが「民意」というものだと思うのだが、それが通用しないのがこの国である。基地に限らず、原発再稼働でも中間処理場でも何でも、国家の一大事を決めるのは政府であり、その決定と実施が法的・手続き的に瑕疵がない限りは地域住民ごときが文句を言うのは許されないというのが安倍政権の立場である。
「法治主義」は確かに民主主義の要件の1つではあるが、私が大昔に聞いた講釈では、法治主義は本来、人治主義に対する言葉で、王様や独裁者も法に則ることなく勝手な決定をしてはならないという権力に対する縛りを意味していたのに、近代官僚政治の横行と共にそれが形骸化して、逆に、法的手続きさえ整っていれば民意など蹴散らしても構わないという、権力の恣意・放埒の隠れ蓑になってしまった。「そこのけ、そこのけ、お上のお通りだ」という菅長官の国権的法治主義に対して、我々はいつまでも下々として畏まっているだけなのか。翁長が今回の重大決断を通じて問いかけているのはそのことである。▲
( 日刊ゲンダイ3月26日付から転載)
【関連記事】
■2.20 高野孟の時事談義2015「ウクライナ停戦合意」(会員無料・非会員216pt)
http://www.nicovideo.jp/watch/1424217346
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高野孟が30年以上に書き綴ってきた同時代ドキュメント「INSIDER」は、まぐまぐのメールマガジン「高野孟のTHE JOURNAL」(毎週月曜日配信・月額864円/当月無料・税込)で配信中!
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<高野孟(たかの・はじめ)プロフィール>
1944 年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレ ター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェ ブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊。2002年に早稲田大学客員教授に就任。05年にイ ンターネットニュースサイト《ざ・こもんず》を開設。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。
Facebook:高野 孟
この問題を原理的なところから考える場合、キーワードは「自己決定権」である。昨年9月のスコットランドの独立住民投票を受けて、琉球新報は同20日付社説で「この地域の将来像を決める権利を持つのは言うまでもなくその住民だけである。……沖縄もこの経験に深く学び、自己決定権確立につなげた」と書いた。そして11月、翁長圧勝を伝えた同17日付社説では、約10万票の大差は「県民が『沖縄のことは沖縄が決める』との自己決定権を行使し、辺野古移設拒否を政府に突き付けた」と述べた。
私は、「主権在民」と謳い、民が主であるはずの「民主主義」の国では、個人だけでなく家族、共同体、地域が自分たちの命や生き方や暮らしぶりに関わる大切なことは自分たちで決めるのが当たり前で、それが「民意」というものだと思うのだが、それが通用しないのがこの国である。基地に限らず、原発再稼働でも中間処理場でも何でも、国家の一大事を決めるのは政府であり、その決定と実施が法的・手続き的に瑕疵がない限りは地域住民ごときが文句を言うのは許されないというのが安倍政権の立場である。
「法治主義」は確かに民主主義の要件の1つではあるが、私が大昔に聞いた講釈では、法治主義は本来、人治主義に対する言葉で、王様や独裁者も法に則ることなく勝手な決定をしてはならないという権力に対する縛りを意味していたのに、近代官僚政治の横行と共にそれが形骸化して、逆に、法的手続きさえ整っていれば民意など蹴散らしても構わないという、権力の恣意・放埒の隠れ蓑になってしまった。「そこのけ、そこのけ、お上のお通りだ」という菅長官の国権的法治主義に対して、我々はいつまでも下々として畏まっているだけなのか。翁長が今回の重大決断を通じて問いかけているのはそのことである。▲
( 日刊ゲンダイ3月26日付から転載)
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1944 年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレ ター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェ ブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊。2002年に早稲田大学客員教授に就任。05年にイ ンターネットニュースサイト《ざ・こもんず》を開設。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。
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主権在民法治主義は、主権が国民に属するが、主権在米法治主義では、主権が米国に属することになる。
国民の民意より、米国の意思ののほうが優先するということである。憲法の理念を無視するということであり、憲法があってなきがごとくふるまう売国的政府によって、政治が行われていることと変わらない。法律は憲法の理念のもとに効力を発揮できるものであるが、虚偽、詭弁によって法律を正当化しようとして政府が数の論理で推し進めようとしている現実は、理性ある行為でなく、国家権力による独裁行為に等しいといえるのではないか。