名前:瑞慶覧長敏(ずけらん・ちょうびん)
政党:民主党
選挙区:沖縄4区
生年月日:1958年10月24日
血液型:A型
趣味:野球、石採集
好きな食べ物:ポテトサラダ(じゃがいも料理)
自作の詩:誠より外に 優る世やねさみ 弥勒世に向かて 育つ童
ホームページ:http://www.nasu-net.or.jp/~yoshimi/
Q1:なぜ政治家になったのですか?
僕が生まれたときから沖縄に基地があり、物心ついたときには父が基地反対・撤去運動に参加していることを知っていました。小学校3年生の時、父が初めて嘉手納基地に連れて行ってくれて、そこでデモに参加しました。
"Yankee go home !"というシュプレヒコールをやり、そのデモ行進の両脇を沖縄の機動隊が固め、金網の向こう側では白人の兵士たちがトラックの上で上半身裸でピースしていました。その光景がすごく印象的で、子どもながらに理解できなかったことを覚えています。だって大人が一生懸命デモしているのに金網の中で笑いながらピースしている人がいるというのはどうしても理解できませんでした。
そのように幼少時代を過ごした私にとって、政治=(イコール)生活でした。政治に興味があるというよりそれは生活の一部でした。親父も県議を3期務めていたので、政治を身近に感じる背景はありますが、沖縄で生まれて暮らしている中で「これはおかしいだろう」という事件にもいっぱい遭遇しました。
直接のきっかけは喜納昌吉(きな・しょうきち)氏との出会いです。学校を卒業してから私は沖縄からアメリカ、大阪へと行きながらずっと沖縄のことを考えていました。そして沖縄に戻ったら彼に会わないといけないという思いがありました。若い頃はミュージシャンとしての彼しか知らなかったのですが、ところがある日この人ただ者じゃないなということがありました。沖縄に戻って会うべくしてあったなという感じです。喜納さんが参議院に通り、沖縄の基地問題は政権交代しなければ前に進まないということで「長敏、おまえも来い」ということがあり、今回手を上げました。
沖縄は振り返れば薩摩の侵攻から独立を奪われ、戦争が起こりまた復帰しましたが大した変化がみられません。沖縄は長い歴史の中でなぜ自分で生きる道を決められないんだという思いを子どもながら抱き、成長して行くにつれて「これはどうにかせんといかん」という思いがふつふつとわいてきました。
Q2:政治家になる前の職業と関わっていた活動は?
私は3歳ぐらいから英語に興味を持ち、英語ばかりを追いかけていました。アメリカに留学し、大阪で6年間英語に携わり、沖縄に戻ってから英語教室を自分で開きました。それはもちろん英語を教えたいという気持ちもありましたが、英語を通じて他の文化に触れさせることで、夢を持っていける子供を育てたいという思いがありました。
また様々な活動もしました。喜納氏と出会った1997年頃、北朝鮮が飢餓に苦しんでおり、何とかしようと喜納さんに相談を持ちかけました。その時は地元の小さい一室を借りて無料コンサートを開催しました。一日で22万円ぐらい集まり、それを北朝鮮に持って行きました。1998年には沖縄から基地をなくす団体の実行委員もやりました。
Q3:地元が抱える問題と対策は?
僕の選挙区は本島の南部と、宮古、八重山の離島を抱えています。農村地帯で、観光地とはいえ大きな産業がありません。沖縄から発信できるようなものを作るような農業振興を進めていきたいと思います。
もう一つのテーマは教育です。僕はALT(外国語指導助手)として学校にいたこともあります。沖縄はそれぞれの地域に特色がいっぱいあり、島によって文化も言葉も伝統も違いますので、その伝統が本当に活かされるような教育をやる必要性を感じています。
アメリカにいたとき、文化・伝統をしっかりと足もとでつかんでいないと世界では議論できないことを痛感しました。アメリカは宗教に根付いた文化があり、話す中でも必ず自分の信仰する宗教が何かを聞かれます。いざ聞かれて、はたと振り返ったときに僕には体系に基づいた宗教がなないことに気づきました。沖縄に戻って英語教室を開く時には英語を教えるだけでなく、世界の文化も広めながら自分の足もとを固めていこうとしてきました。内地(沖縄から見た本州)では沖縄以上に文化と教育の切り離しがあると思います。子どもたちも巻き込んでいけるような教育制度づくりを目指しています。
Q4:当選の前後で周りの環境に変化がありましたか?
まず生活スタイルが変わりました。飛行機に乗って沖縄と東京を行き来するようになり、行った先ではVIPルームに案内されたり今までうけたことないような対応をされることがあります。仕事そのものは国をつくる仕事になり、今までニュースを見る時は傍観者でしたが今は責任ありますもんね。ニュースを見ても何をするにしてもずっと緊張しっぱなしです。我々が決めないと世の中が回らないという感覚です。くそ真面目なタイプなのでどうしてもそうなってしまうのです...
Q5:基地問題について心境の変化はありますか?
今までは「こうなったらいいな」という希望があったのですが、解決までの道のりがとても遠かったです。僕は市議会にも県議会にもおらず、今回の当選で一気に基地問題との距離感が縮まりました。自分が動くことによって変われるんだと思っています。
ただ今の政権は思った以上に苦戦していますね。選挙前は鳩山首相をはじめ「県外移設だ!国外だ!」と叫んでいましたが、民主党政権になった途端にアメリカの前政権との合意があるから...という風潮になっています。そういう意味では一筋縄ではいかないなという思いはありますが、絶対にひかないぞという思いはあります。
─大臣と意見交換したりお願いすることはありますか?
大臣と話し合うことはあります。ただし、同じ国会議員なんだから「お願い」という言葉はやめて話し合いをしようと言っています。同じテーブルに座って我々が地元議員としての意見を出し、政策に反映されるような格好になっています。十分とはいえませんが意見を出す場所と機会はあります。
Q6:日本をどのような国にしたいですか?
(壁に飾ってある掛け軸を指して)こんな国になればと思います。
「富は人を造らず 人は富を造る」
沖縄の書家の豊平峰雲(とよひら・ほううん)氏が書いて下さいました。
国はいくら物があってもダメだし、きれいな道があってもダメです。使う人がしっかりしていなければその国は発展せず、富を生かすこともできません。「モノからヒトに」と言っていますが、日本はこれから世界に通じるような人材をつくりだしていかなければいけないと思います。沖縄も同じです。
Q7:国民、支持者にメッセージをお願いします
政権が代わったことをこれから実感すると思います。結果が出るのにはもうちょっと時間がかかるので、その点をわかってもらいたいなと思います。60年近く一つの政党が政権をとり、後ろにアメリカという国がいて、国民が知らない間にいろいろなものが進んで無駄が積み重なってきました。それをひっくり返そうというのが国民の総意だと思います。
事業仕分けなど今までやってこなかったことを国民の目を通して進めてきています。その成果はすぐに出ないと思いますが、ぜひ辛抱強く一緒に新しい国づくりをやっていきたいと思います。
「トイレを出るときに必ず"フタ"をします」
"運(ウン)"を逃がさないようにするというゲンかつぎ。
友人に聞いて以来、一度も欠かさずフタをしめているそうです。
...確かに...逃げてはいないけど「流れちゃう」ワケだし...とは思ったのですが...そこは突っ込まず。